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カネの匂いない企業人は失格か 年末年始にお薦め3冊

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年末年始は2022年12月29日から23年1月3日まで6連休を取得する人が多そうだ。例年よりやや短く感じるので、自宅でゆっくり過ごす読者も少なくないだろう。ビジネスパーソンの成長に欠かせない「リベラルアーツ」を涵養(かんよう)する絶好の機会ともいえる。明日のビジネスに生かせそうな3冊を選んだ。

伊藤忠元会長が説く企業・個人・カネの関係

「生き方の哲学」(朝日新書)の著者、丹羽宇一郎氏は1998年から2008年まで伊藤忠商事の社長・会長を歴任した。不良債権を一括処理して後のV字回復につなげた。10年から12年には民間出身で初の中国大使も務めた。ビジネス社会のあり方や中国問題に関して積極的な提言を続ける一方、将棋の藤井聡太五冠と対談するなど行動半径が広い。本書は30冊を超える著作の中でも集大成とも呼べる内容になっている。

丹羽氏は「ビジネスパーソンとしてカネの匂いのしない者は失格」と言い切る。伊藤忠時代には経営者の選任基準のひとつだったという。企業トップは何をするにも「儲(もう)かっているか」「ナンボの話や」とお金をベースに考えることが欠かせないと新刊に記す。新しい仕事をつくり出しているか、カネの出入り口をしっかり把握できているかどうかが見えてくるからだ。「会社では上に立つほどお金に徹底的にこだわり続けた」という経験に基づいた内容には説得力がある。

パンはペンより強し――。人間は死ぬまでお金を求める一方で、良いカネもうけ・悪いカネもうけの2種類が存在するとも丹羽氏は説く。「お金儲けの善しあしは条件や状況によって複雑に異なってくるところがカネの一筋縄ではいかないところ」(丹羽氏)だ。ただ「出世を目指して出世したやつはいない」とも断言する。人間は、いつまでも承認欲求をほしがる存在だ。肩書の上昇を求めるだけでは必ず行き詰まる。周囲を喜ばせるように仕事を続けることが、長い目で見て本人に一番のプラスになると丹羽氏はいう。「最も大事なのは能力、人柄では無く信用」というのが丹羽流哲学だ。

260年の長期統治システムはどのように作られたか

2冊目は歴史関係から。関ケ原の戦い(1600年)で徳川家康の東軍が勝利したことは有名だ。一方で、その後の徳川幕府がどのようにガバナンスの仕組みを築いていったかの経緯はあまり知られていない。「江戸幕府の誕生 関ケ原合戦後の国家戦略」(渡辺大門編著、文学通信)は、史学界の研究者が260年も続いた統治システムの基盤に迫った新著だ。

関ケ原の戦いは、豊臣政権の存続を望んだ石田三成の西軍と、体制打破を図った家康の東軍との争いとみられてきた。しかし、中世史研究の水野伍貴氏は「当時の公家らの意識では政権を既に主導していた家康が主流、三成が変革派だった」と分析する。東軍に細川忠興、黒田長政ら現状維持を望む近世的な性格の大名が多く、一方の西軍は真田昌幸ら変革を望んだ者たちの受け皿になったと指摘している。

渡辺氏は関ケ原後の処罰が苛烈だった一方、新領地の画定まで1カ月以上も時間がかかったと話す。家康は朱印状などの重要な証拠書類は発給せず、口頭などで国替えや加増、減封を進めていった。「家康はまだ豊臣秀頼の補佐、政務の代行者という立場だったので公的な文書は出せなかった」(渡辺氏)と指摘する。小川雄・日本大准教授は「関ケ原後に家康と淀殿(秀吉の側室)は協調路線を敷き、十年以上の政情の安定を実現した」。しかし、家康・淀殿の妥協は次世代の徳川秀忠・豊臣秀頼に引き継がれず、両者とも権力の確立に走って大阪の陣(1614~15年)を招いたという。

中国史の底流を読み解く「帝師」の存在

23年も隣国・中国の動向から目が離せない。中国ウオッチャーの最新分析のみならず中国史からのヒントも大事にしたい。22年11月の中国共産党大会では、習近平(シー・ジンピン)党総書記に忠誠を尽くす「習派」が要職を独占するものの、ナンバー4の王滬寧(ワン・フーニン)中央政治局常務委員だけが無派閥だった。過去3代の政権で理論の支柱を務めて「三代帝師」の異名を持ち、復旦大教授から転身した。

「悪党たちの中華帝国」(新潮選書)を著した岡本隆司・京都府立大教授は「過去の中国では儒教・学術はそのまま政治(まつりごと)。儒学者らがたびたび帝師として政治を主導した」と指摘する。代表的なのは北宋時代に新法と呼ぶ政治改革を実行した王安石。「長くは続かず引退。後世では『すね者宰相』として指弾された」と岡本氏。 

実際に帝師を制度化したのが明時代の「内閣大学士制度」だという。岡本氏は「代表的なケースは、張居正と万暦帝。しかしスパルタ教育の反動が来て、暗君の最たるものとなってしまった」と指摘する。

日本的な忠誠を尊ぶ武士道精神では、中国は推し量れないのかもしれない。3代どころではない、五代十国時代に馮道は宰相として5つの王朝で11人の君主に仕えた。晩年、後周の皇帝からは先生扱いされたという。当然のように馮道には無節操の悪評がつきまとう。しかし「単なる無節操では君主からの信頼は得られない。時代の流れに沿った誠実な言動があったからこそ何度も仕えることができた」と岡本氏は指摘する。支配体制がめまぐるしく変わる動乱の時代に一般の人々の保護に力を注いだという。王滬寧の政治局常務委員は2期目で、これまで習近平の外遊などに同行してきた。習に直言できる数少ない一人との分析もある。王の動きも23年の中国を占うポイントのひとつだろう。

(松本治人)

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