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「お笑い3冠」のSMA 後発事務所が吉本に勝てた理由 ソニー・ミュージックアーティスツ 第3マネジメント本部 制作2部部長 平井精一氏(上)

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漫才やコントの大型コンテスト、いわゆる「お笑い3冠」を獲得した芸能事務所は、最大手の吉本興業を除けば、新興のソニー・ミュージックアーティスツ(以下SMA)だけだ。お笑い部門の立ち上げからまだ20年ほどのSMAがなぜ3冠芸人を送り出せたのか。立役者はお笑い部門を自ら立ち上げた平井精一・第3マネジメント本部 制作2部部長だ。『「芸人の墓場」と言われた事務所から「お笑い三冠王者」を生んだ弱者の戦略』(日本能率協会マネジメントセンター)を書いた平井氏にSMAの強みを聞いた。

芸能事務所では吉本に次ぐ快挙

いわゆる「お笑い3冠」とは、漫才の「M-1グランプリ」、コントの「キングオブコント」、1人芸の「R-1ぐらんぷり」という笑いのコンテストを指す。SMAは所属芸人のバイきんぐが「キングオブコント2012」で優勝したのに続き、ハリウッドザコシショウが「R-1ぐらんぷり2016」で勝ち、アキラ100%が翌年「同2017」で連覇、さらに錦鯉が「M-1グランプリ2021」を制して3冠を達成した。芸能事務所では吉本に次ぐ快挙だ。しかし、1912年の創業で100年を超える歴史を持つ吉本に対して、SMAがお笑い部門を設立したのは2004年。設立からまだ20年に満たない後発だ。

そもそもお笑い部門を立ち上げたのは平井氏自身だ。渡辺プロダクション(現在のワタナベエンターテインメント)に入社し、ホンジャマカ、ふかわりょう、TIMなどの芸人をマネジャーとして担当した。1998年にSMAへ移り、6年後にお笑い部門をスタートさせた。

SMAは名前が示す通り、もともとソニーミュージック系であり、音楽に強い。歴史的な成り立ちからいえば、お笑いは畑違いの異業種だ。「吉本興業」「松竹芸能」といった古参は社名からしてそれらしい。SMAのお笑い部門はすべてがゼロからの立ち上げだったうえ、「来る者は拒まず」式に幅広く受け入れたこともあって、「最初のうちは『芸人の墓場』と言われた」(平井氏)というのは、あながち誇張ではない。

だが、平井氏にはSMAに転じる前からある程度の勝算があったようだ。本来の宣伝業務をこなしながら、お笑い部門の創設を社内に提案。04年にプロジェクトが動き出したが、実質はほとんど1人プロジェクトだった。だが、05年には「チクショー」と叫ぶ芸風で知られるピン芸人のコウメ太夫が人気を博し、最初の売れっ子になった。

3冠に至るSMA勢のサクセスロードに決定的な貢献を果たしたのは、07年に東京都豊島区要町でオープンした自前の劇場「 Beach V(びーちぶ)」だろう。成長過程にある芸人が観客の前で持ちネタを披露する常設劇場の誕生は「芸人の育成に効果が大きかった」(平井氏)。

50席ほどの小ぶりなライブハウスには、3冠王者の「次」を狙う芸人たちの熱気がこもる。お笑い部門の立ち上げから、わずか3年での自前劇場オープンはかなりスピーディーな仕掛けだったとみえるが、「後発だったことが幸いして、割と思い切ってチャレンジしやすかった。現場に判断を任せてもらえたのもありがたかった」(平井氏)。ミュージシャンの売り出し経験が豊富なSMAという事情もプラスに働いたようだ。この「先行投資」が後に大きなリターンをもたらす。

 

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