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「地獄のインパール」が原点 ワコール・塚本幸一の哲学 北康利(作家)

マーケティング リーダー論 歴史

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日本に起業家が育たないと言われて久しい。ユニコーン企業(企業価値が10億ドル以上の未上場企業)は米国や中国より少なく、開業率も5%程度で欧米に見劣りする。高度経済成長時代をけん引したベンチャー創業者の原点はどこにあったのか。松下幸之助、稲盛和夫ら多くの伝記を手掛け、最新著「ブラジャーで天下をとった男 ワコール創業者 塚本幸一」を書いた北康利氏に寄稿してもらった。

「電力の鬼」をも超える体験

かつて〝電力の鬼〟と呼ばれた松永安左エ門は、「一人前の経営者になるためには『3つのT』が必要だ。『投獄』『倒産』『大病』。わしはそのすべてを経験してきた」と周囲に語った。要するに地獄の淵をのぞいておかないと、壁にぶつかった時、それを乗り越えるだけの腹が据わらないというわけだ。

だがワコール創業者・塚本幸一は、松永よりもさらに深い地獄を見ていた。彼は太平洋戦争(1941〜45年)の激戦の中でもとりわけ悲惨なものとして知られるインパール作戦(※)の生き残りだったのだ。

彼の小隊55人は、彼を含め3人しか生き残れなかった。敵兵に殺された数よりも餓死したり、マラリアにかかって足手まといになり自決させられたりした兵士の方がはるかに多い。戦友の死体が折り重なってできた「人の橋」を歩いて湿地帯を渡った経験は、日本に帰ってきてからも毎晩のように夢に出てきて彼を苦しめた。眠りは浅く、生涯睡眠薬を手放せなかった。

彼は復員船の中で悟った。自分は生かされたのだと。そして失った戦友の人生まで背負って生きていこうと心に決めた。その重荷がどれほどのものだったかは、現代人の想像の遠く及ばない世界である。

そんな彼がビジネスで成功して豊かな生活をしようなどと私利を追うはずもない。自身の出自である近江商人の掲げた「三方よし(売り手よし、買い手よし、世間よし)」にならうまでもなく、自分の仕事に社会性を求めた。そして敗戦で焦土となった、愛する祖国日本の復興のために立ち上がったのだ。

女性のために、女性とともに

かつてこの国は、今とは比較にならない男尊女卑の国であった。国を支えるのは男であり、女はそのしもべのような扱いを受けた。だがこの国を破滅させたのは、国を支えるはずの男だったのだ。「産めよ増やせよ」と子作りを励行し、その子どもたちを次々に戦場へと駆り立てては、物言わぬ白木の箱に入れて帰した。その果てが無残な敗戦である。

「真の平和とは、女性の美しくありたいと願う気持ちを自然と実現できる社会ではないのか?」――そう確信した彼は、女性のために女性とともに、ビジネスの世界で再び戦いを挑もうと心に決めた。

だが、志が高いだけでビジネスは成功しない。塚本が起業家として優れていたのは、急速な拡大が予想される市場を自分の人生を賭ける戦場に選んだことであった。それが女性下着だったのだ。

「これから日本の女性は絶対、洋装化する。洋装になったら体形を補正する下着が米国のように売れるはずだ」

そう思った彼は米国の業界団体に問い合わせてみた。すると、なんと米国国内だけで日本の国家予算の3分の1ほどの巨大市場であることがわかったのだ。

男性からすれば少し気恥ずかしく、強い覚悟なしには扱えない商品だ。しかし死地を越えてきた塚本である。強い信念でこの市場と向き合った。

女性に学ぶ、先人に学ぶ

商品を使うのは女性である。徹底的に女性に学んだ。そして確信した。世界が狙えると。

女性下着は肌に触れる。布の質に加え、縫製の技術が確かでないと、消費者はそれを敏感に感じ取ってしまう。彼はしばしばブラジャーを「精巧なスイス時計」になぞらえたが、日本人の器用さは世界に冠たるものがある。そのうち縫製業者がこの国を支える時代がやって来るに違いないと確信した。

そこからは先人の創業者の知恵を手当たり次第に自分の経営の参考にしていった。ホンダの本田宗一郎からは世界を目指すことの大切さを学んで社是に取り入れ、電通の吉田秀雄からは営業に対する強い気構えを学び「ワコール鬼十則」を制定し、出光興産の出光佐三からは社員を信じることの大切さを学び「信頼の経営」を掲げた。

とりわけ影響を受けたのが松下幸之助だった。「経営の神様」のすべてを吸収しようと決意した彼は、自分の人生と彼の人生を併記した年表を作成し、松下が自分の年齢だった時、どんな施策を打って松下電器(現パナソニック)の規模はどれほどだったかを照合し、自分の目標に定めた。

松下の「250年計画」(1932年に発表した建設10年・活動10年・社会への貢献5年、合計25年を1節とし、これを10節繰り返すという計画)にならって「50年計画」を策定し、それを着実に実行していった。そして、たった10人ではじめた「和江商事株式会社」(現ワコール)を、彼は死の直前、50年計画の最終目標である世界市場に挑戦するグローバル企業へと成長させていた。

彼が「有言実行の近江商人」と呼ばれるゆえんである。法名は「和江照院釋幸貫」。幸一の「幸」に、信念を持って人生を貫いたことを意味する「貫」の字が加えられている。

彼の死の翌日、異例のことが起こった。

母校・八幡商業高校(滋賀県近江八幡市)において授業開始に先立ち、全校一斉に黙とうがささげられたのだ。「近江商人の士官学校」と呼ばれた同校にとって、みなが理想とする偉大な先輩こそ、ほかならぬ塚本幸一だったのである。

戦後の日本の奇跡の復興の要因は、確かに傾斜生産方式や、通産省設置による加工貿易の推進、朝鮮戦争特需などいろいろあろうが、塚本のように、失った命の重さをいつも心の内にとどめ、「この国を豊かで国民が幸せに暮らせる国にしなければ、死んでいった彼らに顔向けができない」と思う人たちがたくさんいたことこそ、最大の要因であったことを忘れてはならない。

人生の最後に、塚本は京セラの稲盛和夫という後輩経営者を指導し、人脈を紹介して育て上げた。塚本なくして稲盛の第二電電(現在のKDDI)の成功はありえない。

起業家の基本も、覚悟も、社会への向き合い方も、女性活用も、後輩の指導も、すべて塚本幸一の人生の中に詰まっている。彼が先輩経営者に学んだように、我々も彼に学ぼうではないか。

インパール作戦 1944年、ビルマ戦線における戦闘で「日本軍史上最悪の作戦」ともいわれる。補給路の軽視から将兵9万人のうち約3万人以上が戦死・戦病死(飢餓や現地病)・行方不明などで犠牲になったとされる。作戦中止後の撤退路は通称「白骨街道」。生還した兵士から「地獄だった」と回想する声が少なくない。

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