パワハラは企業にレピュテーション(評判)リスクや訴訟リスクを引き起こし、何よりも社員のモチベーションを下げて生産性向上を阻害する。企業にとって良いことは何ひとつ無いが、いまだ職場でその場限りの対応で済ませるケースもまま見られるという。神奈川県立保健福祉大大学院の津野香奈美・ヘルスイノベーション研究科准教授は「エビデンスに沿った効果的な対策を講じるべきだ」と警鐘を鳴らしている。
新たなパワハラが発生しやすい「放任型」
放任型上司の職場はパワハラが起きない?――。部下と最低限の関わりしか持たず、会議・出張で職場に不在であることが多いのが放任型上司。一見、ハラスメントにほど遠い存在に見えるが、津野氏は「かえって新たなパワハラが発生しやすい」と指摘する。津野氏らのチームが関東地方の地方公務員約1000人を対象にした調査では、放任型上司の職場で半年後にパワハラが発生するリスクは通常の4.3倍、部下にメンタルヘルスの不調者が出るリスクは2.6倍まで高まったという。
「自分は嫌われているから関わってくれない」「辞めさせようとしているから声を掛けてくれない」などと部下を疑心暗鬼にさせ、パワハラを受けていると感じさせるからだ。津野氏は「上司から適切な指示が無いことで社員同士の対立や衝突が増え、パワハラやいじめ行為が増える」と説明する。
「最も危険な職場は専制型上司のチームリーダーの上に、放任型の上長がいる部署だ」と津野氏。専制型上司は字のごとく、何でも自分の思い通りにしたり部下にさせたりしないと気が済まないタイプの上司だ。自己顕示欲が強く、部下が主体的に動くことを歓迎せず、第三者から見て非合理的な罰を与えたりする。専制型が部下を苦しめても、上長が放任していれば「無言の承認」を与えたことになる。
津野氏は典型的なケースとして「さいたま市(環境局)職員事件」(東京高裁、2017年)を挙げる。教育係のパワハラに対し係長が被害者に「がまんしてくれ」と言い含め、行為を止めなかった事件だ。結局、被害者が精神疾患を発症し自殺する結果を招いてしまった。津野氏は「パワハラで訴えられることを恐れて、部下に積極的に関わらないことは一見無害そうでも大きな悪影響をもたらす」と警告する。
一方、社交型の上司の職場はどうだろう。心理学上のマキャベリアニズム・サイコパシー・ナルシシズムの「ダークトライアド」はパワハラとの強い相関性が指摘されている(前編で解説)。津野氏は「ダークトライアドは社交性とも関連性が高い」と指摘する。このタイプは知性・外見など魅力的な要素を持ち合わせているケースが少なくない。
自分自身の業績やキャリアに深い関心を持ち、理想の自分を獲得するために努力を惜しまない。目標達成のためには他者を巧みに操作し、自信に満ちあふれた態度で業界内の有力者に好かれたりする事例もよく指摘されている。その一方で「他者に関心が無く冷酷な態度も平気でとれる」と津野氏。自然に上司と部下への顔の使い分けができるタイプだ。
「構造型パワハラ」の特徴もよく指摘されている。上司と部下のコミュニケーションが少ない、仕事量が多いのに裁量権が低い、明文化されていないルールが多い、長時間労働が当たり前、部課員同士の連帯感が不必要に強く排他的――といった職場環境でパワハラ行為が起きやすい。パワハラ常習のブラック企業ほど「社員は家族」などの標語を掲げるという。
津野氏は「冗談やからかいが日常的に見られる職場にも危険が潜んでいる」とも説く。フレンドリーでなじみやすい環境だと油断してはいけない。神戸市東須磨小学校いじめ事件(19年)で後輩の男性教員に対し、女性の先輩教員らが加えたいじめ・暴力が典型的なケースだ。新任初日からパワハラを受けていたわけではなく、冗談を放置していくうちにエスカレートしていった。注意するタイミングを逸すると、今度は加害者側から「何で今さら言うのか」と反発を受ける。時間をおけばますます介入しづらくなる。津野氏は「相手を傷つける可能性が、少しでもあれば許さないという姿勢を、早い段階で管理職が打ち出す必要がある」としている。
パワハラが起きやすい3〜4月
パワハラが起きやすい季節はあるのか。津野氏は「パワハラを起こしやすいタイミングがある」と説く。まず上司のストレスが高い時だ。ノルウェーのレストラン従業員207人を対象にした研究(11年)では、上司自身のストレス度が高いレストランでパワハラが発生する割合が高かったという。管理職と部下のペア172組についてのカナダの研究(14年)も上司の不安症状や飲酒量がパワハラ行為と関連したと結論している(部下報告による)。津野氏は「パワハラを誘発するストレス要因は役割葛藤や役割の曖昧さ、睡眠不足などがある」と指摘する。役割葛藤は、仕事における矛盾した期待や要求を感じる度合い、役割の曖昧さなどで現在の状況を予測不可能と感じる程度を指す。
ストレスを感じると、人は他者に攻撃的になる。逆の視点からは管理職のストレスを軽減するシステムがパワハラを未然に防ぐことにつながる。津野氏は「管理職が十分な睡眠をとれるように業務量を調整し、ストレスマネジメント研修を実施することなどが効果的だ」としている。
パワハラが起きやすい第2のタイミングは「新しくパワーを得た時だ」と津野氏。昇進、異動、出向などの直後が危険だという。新業務で分からないことも多く、自尊心が傷つけられやすい。こういう時に「相手を攻撃することで自尊心を保つという行動に出やすい」と津野氏は指摘する。
3月の年度末は、どの職場でも一年で最も忙しい時期だ。その先には23年度の新体制、人事異動が待っている。まさに今がパワハラが起きやすい季節にあたる。目配りを欠かさぬようにしたい。
ところで、企業のパワハラ研修は「Aという行為がパワハラに該当するかどうか」といった○×式の判定に関心が集まりやすい。以前津野氏の研修を受けた、ある管理職は「最近は何でもハラスメント。部下に関わらなければパワハラになりようがない」と感想を漏らしたという。まさに放任型上司が生まれる典型的なパターンだ。個人的な経験や勘に頼った対応ではパワハラは解決しない。「パワハラの発生するメカニズムを知った上で適切に対処してほしい」と津野氏はアドバイスしている。
(松本治人)