外食チェーン店には逆風が続くが、たくましく生き抜く企業には「骨太の創業者」という共通点がある。長く外食業界を見てきた加藤一隆氏は著書『「おいしい」を経済に変えた男たち』(TAC出版)で、トンカツの「とんかつ新宿さぼてん」、ハンバーグとステーキの「ハングリータイガー」、イタリア料理の「サイゼリヤ」などの創業当初をつづった。新型コロナウイルス禍を乗り越えて前に進むこれら企業の原点となった創業者たちは「食べる人」を本位にビジネスを組み上げる「商道」を貫いた点で似通っている。(前回記事「モスバーガーが値下げしなかった理由 創業者の志」)
「とんかつ新宿さぼてん」を創業したのは、慶応大学予科の学生寮での学生食堂の運営からスタートした田沼文蔵氏だ。田沼氏が創業したグリーンハウス(東京・新宿)はグループで中華料理の「謝朋殿」「西安餃子」、粥(かゆ)の「粥餐庁」なども手がけている。本書で取り上げている6人の創業者のうち、祖業の給食サービスを今なお、企業グループの柱に据えている点で違いがある。レストランブランドが幅広いのも「『人に喜ばれてこそ会社は発展する』という社是の精神を映す」(加藤氏)。
田沼氏は早稲田大学の在学中に学徒出陣を強いられ、捕虜生活を経験して復員した。ようやく得た慶応大学での学食運営では戦後の食糧難の中、空腹を抱える学生たちに食事を提供し続けた。高度経済成長期には企業が相次いで社員食堂を用意するようになり、グリーンハウスも事業を飛躍させていった。「さぼてん」の第1号店を東京・新宿に構えたのは、副都心化が勢いづいていた1966年。看板メニューに食欲をそそるトンカツを選んだところにも「学食や社食での経験が生きている」と、加藤氏はみる。
「さぼてん」の人気を高めたのは、ご飯とキャベツのお代わり自由という、画期的なサービスだった。今では多くのトンカツ店で当たり前になっているが、加藤氏は「最も早く『さぼてん』が採用した。いっぱい食べて栄養をつけてほしいという願いがうかがえる」と、創業者の思いを感じ取る。戦争で亡くした部下に報いるという気持ちから、次代を担う学生に食事を提供する仕事を引き受けた田沼氏の姿勢は今のビジネスキーワードになっている「パーパス(社会的な存在意義)」に通じる。
「さぼてん」の創業当初から田沼氏がこだわったのは、ご飯、みそ汁、おしんこ(漬物)の3つだ。グリーンハウスではこの3つを「三種の神器」的に位置付けたという。トンカツ店のメイン料理はトンカツに決まっているが、あえて「脇役」の3つに注力したのは、「社員が毎日利用する社食では、おかずは変わっても、コメとみそ汁とおしんこだけは変わらないから」(加藤氏)。社食での豊富な経験がここでも生きた。調理の専門家ではなかった田沼氏だったが、「お客様の要望は絶対」の哲学を貫き、食べる側の本音を引き出した。
創業者がメッセージを込めることが多い社名だが、グリーンハウスという名前は公募だ。 慶大の塾生から集まった候補の中から選ばれた。創業当初から人に寄り添う姿勢を貫いた創業者マインドがにじむ。