戦略は歴史から学べ

国際的なルールチェンジを軽視 77年前の日本敗北 細谷雄一・慶応大教授に聞く

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日本敗戦(1945年)から77年。戦禍を語り継ぐことがさらに重要となる一方、戦争を知らない高度成長期以降生まれの世代からアカデミックな研究が生まれている。慶応大学の細谷雄一教授(現在、英ケンブリッジ大で訪問研究員)は、第2次世界大戦における日本を長期的にグローバルな視点で分析し「日本の敗因は20世紀の世界史的な潮流を軽視していたことだ」と指摘する。こうした分析からは、変化の激しい国際情勢やビジネス環境を予測するためのヒントも得られそうだ。

世界史的視点からの「51年戦争史観」

――最新刊の「世界史としての『大東亜戦争』」(PHP新書、編著)では、国際関係史からの視点を強調しています。

「日本から見れば真珠湾攻撃(1941年)から始まった日米戦争、東南アジアにおける対英戦、37年から続いた日中戦争、終戦直前の対ソ連(現ロシア)戦と4つの戦いが組み合わさった複合戦争でした。呼び方も米国は太平洋戦争、中国では抗日戦争、ロシアは大祖国戦争とさまざまで、日本が名付けたのは大東亜戦争でした。日本国内の動きや対米関係を追っただけでは全体像の把握に限界があります」

――1890年から対米開戦の1941年までの「51年戦争史観」を提唱しています。

「帝国主義の絶頂期ともいえる1890年を起点に1941年までは、東アジア一帯がグローバル化の波に翻弄され、それぞれが独立と近代化という国家建設に奔走する時代でした。各国は帝国主義に代わる新しい国際秩序を行きつ戻りつ模索したのです。欧米では第1次大戦を境に国際ルールが一変したという見方が多いですね」

「19世紀の国際ルール」から脱皮できず

――日本では第2次大戦を無謀な侵略戦争とする批判と反省が多い一方、自衛戦争だったとする声も根強く残ります。

「当時のリーダーらは、日本が国際ルールを破り不正な戦争を仕掛けたとは全く考えませんでした。植民地を拡大することは国益を増大させる正しい選択であり、英仏米などもこれまで散々行ってきたという認識です。ただ、それは19世紀の国際ルールでした」

「第1次大戦後の国際社会は主権国家・民族自決の尊重と、基本ルールが構築されていきました。具体的にはまず『脱植民地化』です。中国、インドなどの民族主義の高まりとともに、支配する帝国側にとっても維持コストが割に合わないほど膨らみました。第1次大戦でドイツ、ロシア、オーストリア=ハンガリー、オスマンの4帝国が解体。第2次大戦では日本のみならず勝者側の英仏も次第に植民地を放棄する必要が生じ、米国もフィリピンの独立を認めました」

「第2は『戦争の違法化』です。ハーグ平和会議は1899年と1907年に2回開催。国際連盟が1919年に結成され、28年の不戦条約へと展開しました。ただ日本のリーダーは20世紀の潮流に無自覚でした。自分たちの行動が、どう他国から見られているかについても軽視していました。19世紀型思考から脱却できない日本は、軍事パワーだけでなく国際ルールの『正義』を巡る戦いでも敗れたと言えます。地政学的にも海洋国家である日本が、大陸国家であるドイツと同盟するのは非合理でした」

――ルールチェンジの流れに無頓着でいると、いつの間にか孤立し、連携する相手もいないので自然と軍事パワーも劣勢に陥ったのですね。現在の国際経済でも、旧来型の成長重視よりもSDGs(持続可能な開発目標)尊重という新たな基本ルールが構築されつつあります。

「国際ルールは常にバージョンアップを目指して動きます。昨日まではこうだったからと見逃していては、大きな不利益をもたらしかねません」

ウクライナ侵攻は19世紀型の帝国戦争

――ウクライナ侵攻は19世紀型の帝国スタイルの戦争だと分析しています。

「かつての日本のリーダーが無自覚だったのに対し、ロシアのプーチン政権はあえて承知して国際ルールに挑戦しているとみます。19世紀型の帝国の特徴は(1)徹底したパワーゲーム(2)小国の主権・民族自決を軽視(3)ゼロサム思考――です。ロシアからみれば、国際政治を動かせるプレーヤーは強大な軍事力を持つ国だけというわけです。続いて北大西洋条約機構(NATO)加盟に反対するなどウクライナの主権を認めず、自らに従わせようと侵攻しました」

「大国Aに小国Bが従属しないのは背後に別の大国Cがいるからだと考えるのがゼロサム思考です。プーチン政権は米英がウクライナを操っているとみます。世界の歴史を逆戻りさせるような行動で、かつての日本以上に国際世論の反発と批判を招くのも納得できます」

――安倍晋三元首相については、岩盤保守層の支持を集めながら国際ルールの潮流に機敏に応じ、日本の外交をバージョンアップしたと指摘しています。

「第1次政権(2006~07年)の時は戦前回帰を思わせる印象を与え、海外で懸念する声も聞かれました。国際的評価が高まったのは第2次政権(12~20年)からです。15年8月、終戦70年の安倍談話で戦前に『国際秩序の挑戦者』であったことを認め、アジアと世界の平和と繁栄に向け行動することを表明しました。次は16年の『自由で開かれたインド太平洋』演説です。日米豪印が連携する『Quad(クアッド)』に結びつきました。安倍元首相の政治手法はウイングを広げて敵対陣営の政策まで包摂する点に特徴がありました」

(聞き手は松本治人)

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