人材の価値を大きく伸ばす人的資本経営を志向する企業が増えるなか、従業員や取引先といったステークホルダーの働きがいや幸福感への関心が高まってきた。日本経済新聞社はウェルビーイングに対する認知や理解をさらに高めるため、5回目となる「日経Well-beingシンポジウム」を9月25日、26日の二日間にわたって開催した。国内外の有識者や企業関係者が集結し、ウェルビーイング向上のための実践事例や研究成果、政策提言などについて活発な発言が飛び交った。(上下2回で掲載)
【パネルディスカッション】AI活用で人材価値向上
和田 孝雄氏 パーソルホールディングス 代表取締役社長 CEO
中条 薫氏 SoW Insight 代表取締役社長
モデレーター 井上 亮太郎氏 パーソル総合研究所 シンクタンク本部 上席主任研究員 / 慶應義塾大学大学院 特任講師
井上 人工知能(AI)の現状は。
中条 AI導入に悩みを抱えている企業は多い。一方で、生成AIに関しては企業の関心が非常に高く、経営に広範囲で大きなインパクトを与えつつある。「生成AIを使いこなす」「人ならではの価値創出」の2つの側面で向き合うことが必要だ。
和田 当社では人材の紹介・派遣について、マッチング精度を高めるためにAI技術の活用を進めてきた。現在もグループ全体でどんな使い方で業務改善や革新が図れるのか日々試行錯誤している。
井上 AIが仕事に入り込む中で、人が介在する意味や価値はどうなるのか。
加治 MITの研究では、生成AIの使用により作業時間が半分、タスクの質は約1.5倍になり、文章の下書き時間が大幅に短縮されて編集に時間を費やせられるようになったという。我々の歴史は技術と共存して新しい仕事を作り出すことの繰り返しだ。今後、働き方も変化するだろう。
中条 「何のために能力を伸ばすのか」腹落ちすることが必要だ。会社の基準や枠組みではなく、自分の軸でどうありたいかを考え、キャリアとゴールを描くプロセスが重要だ。そして日々の生活の中で感性と美意識、好奇心を育むセンス・オブ・ワンダーがますます大切になっている。
加治 諸外国を対象にした労働移動調査によると「労働移動が円滑になると生涯賃金は上がる」「転職せず同一企業内にとどまる方が、企業がエンゲージメントを高めようとして賃金が上がる」という結果が見られた。日本が労働移動しやすい国になると企業は賃金を上げざるをえないというのが政府の考えだ。
和田 日本の労働マーケットは、転職して報酬が上がる人は3分の1しかいない。情報と仕事、人の能力と企業が求めるスキルのミスマッチが起きているため、ここをAIの活用で埋めることで一人ひとりのウェルビーイングが上がるはずだ。また、当社では副業や兼業を推奨しているが、リスキリングに役立ったという声も多い。一社に依存するのではなく、自分の価値と能力が社内外で適正に評価される世界を作る必要がある。
井上 AIは働く人のウェルビーイングを高めうるのか。
加治 イエスだ。事務的に処理しなければいけない問題をAIが行うことで、そこに費やされる時間が圧縮される。一方で、ウェルビーイングにつながる楽しさや学び直し、好奇心を磨くことに時間を使える。逆にそれらを探さなければいけないが、それは楽しい活動だと信じている。
中条 私もイエスだが、ウェルビーイングを高めるために企業は「人とAIの役割分担を戦略的に考える」「人の能力を引き出すために脳や心理の理解を促す」「主体性・創造性・情熱を引き出す人材育成」を心がけることが大切だ。
和田 「人はどうAIを使ってウェルビーイングを高めるのか」と考える必要があると思う。例えば我々の仕事では、相手に寄り添う役割は人にしかできない。AIに任せられることは任せたうえで、人にしかできない仕事にフォーカスして、自分の付加価値を高めていくことが重要だ。
【講演】社員と顧客の幸せを好循環に
本島 なおみ氏 MS&ADインシュアランスグループホールディングス 常務執行役員 グループCSuO(サステナビリティ)
人々がウェルビーイングな状態でいるためには、安心・安全な社会、地球環境との共生は欠かせない。また、多様性は企業の成長戦略を支えるだけでなく、ウェルビーイングも支える土台であると考える。私たちはこれらを特に重要な社会課題と定め、解決に取り組んでいる。
あらゆるステークホルダーの中でも最優先しているのは、社員、取引先や代理店、そしてお客さまだ。そうした方々のウェルビーイングを重視している。社員とその家族を含めた大勢の人々をウェルビーイングな状態に近づけることが大企業の使命であり、事業の究極の目的でもある。
社員のウェルビーイングは心身の健康、働きやすさ、働きがいの3要素から成り立っている。同じ悩みを持つ社員がつながる社内コミュニティーを形成している。また、産休・育休取得者がいる職場全員に一人当たり最大10万円の祝い金を支給する制度も導入した。社会課題の解決につながる取り組みや成果を表彰する「サステナビリティコンテスト」の開催といった取り組みも行っている。
お客さまのウェルビーイングに関しては、保険金の支払い時だけでなく、毎日の暮らしや人生に寄り添い、ウェルビーイングを支える商品・サービスを届けたい。災害時の支援金の支払いを最短3日で完了し、1日も早く生活再建したい被災者のニーズに応える「被災者生活再建支援サポート」を開始した。
幸せな社員による仕事がお客さまを幸せにし、お客さまを幸せにする仕事が社員を幸せにする。その好循環を回し、誰一人取り残さず、巻き込んでいくことが私たちのありたい姿だ。
【パネルディスカッション】情報開示し社員と対話
北村 俊樹氏 ライズ・コンサルティング・グループ 代表取締役社長 CEO
田中 研之輔氏 法政大学 キャリアデザイン学部 教授 / プロティアン・キャリア協会代表理事
モデレーター 篠田 真貴子氏 エール 取締役
篠田 個人にとり、ウェルビーイングとキャリアオーナーシップはどうつながるのか。旧来の日本型雇用を運用する職場では、キャリアを自分で全部決めるといった変化にさらされるほうが、ウェルビーイングが低下する感覚があるのでは。
田中 日本型終身雇用モデルには疲労感があることに気付いてきた。キャリアやウェルビーイングを考えることは、個人と組織の新しい関係性を紡ぎ直して再構築することでもある。環境に合わせて適応できる「複数性の自己」を生きる社員の柔軟さを受け入れられなければ、会社に優秀な人材は定着しない。
阿萬野 これからの会社は対話を通じて社員に日々情報提供して「何が来ても大丈夫」と準備できる環境をつくっておくことが重要になる。その出発点がキャリアオーナーシップでありパーパスだ。その一環として当社では3年前から、個々の社員のパーパスを明確化する「パーパス・カービング」を実施している。
北村 当社は「RISE COMPASS」という羅針盤を社員に提供している。グループ内で職位を上げていくだけでなく、事業会社などのCXO、社外での起業など、各自がキャリア中間点やゴールを自由に定め、会社が実現をサポートしている。この取り組みは社員の豊かなキャリアにも、会社の成長にもつながっている。
篠田 組織運営の観点では、ウェルビーイングとキャリアオーナーシップはどう位置づけられるのか。
北村 当社の経営方針の土台にはウェルビーイングがある。社員ときちんと対話した上で、義務と権利をお互いに認め合う必要がある。持続的な成長には社員への適切な投資が重要になるため、BS(バランスシート)経営という形で様々な情報をオープンにするほか、制度や文化にもこだわって取り組んできた。
阿萬野 社員と会社はもはや対等な関係性だ。自律と信頼をベースに対等につながることで、社員は価値を創造して自ら成長し続けるとともに会社のパーパスの実現に貢献する。会社は魅力的な成長の場を提供し、リワードに反映する。相互の強い結びつきで初めて、双方にとってのウェルビーイングが実現できる。
篠田 旧来のやり方をしていた会社がこの2社のような世界に行くのは簡単ではないと思う。これから始める会社はどのように実行すればいいのか。
田中 大前提として、ウェルビーイングは自然発生しない。実現するには「どんなウェルビーイングをいつまでに実現したいのか」を経営戦略の中でつくり込むことが大事だ。具体的に落とし込み、情報開示しながらキャリアオーナーシップ主導型でやっていくからこそ、そのプロセスの中でウェルビーイングを手にすることができるだろう。
【パネルディスカッション】「夢中」が貢献につながる
島田 由香氏 YeeY 共同創業者 / 代表取締役
米女 太一氏 アサヒ飲料 代表取締役社長
モデレーター 前野 隆司氏 慶應義塾大学大学院 システムデザイン・マネジメント研究科 教授
前野 ウェルビーイングデザインの定義は、「幸せ・健康・福祉の条件を満たすように〇〇をイノベーティブにデザインすること」。〇〇には製品、サービス、職場、教育などの言葉が入る。
高田 住友生命グループでは、ウェルビーイングを経営のど真ん中に据え、2030年にありたい姿として、ウェルビーイングに貢献する「なくてはならない保険会社グループ」を掲げた。営業職員は「ウェルビーイングデザイナー」として、保険コンサルティングに加え、健康増進のサポートやウェルビーイングサービスの提案もしていく。日常に寄り添い、ウェルビーイング実現をサポートする。前向きに健康の話をすると、みな笑顔に、ポジティブになっていく。職員も変わってきた。
新たな企業メッセージ「for your well-being」には、人それぞれの幸福、若者でも、病気でも、年を重ねても、何が幸福か明確でなくても、そこにも寄り添って、何ができるか追い求めていくという企業姿勢を込めている。
米女 アサヒ飲料には三ツ矢サイダーをはじめ、100年以上続くブランドがある。この先100年続けていくために「100年のワクワクと笑顔を。」を社会との約束として掲げ、「健康」「環境」「地域共創」を重点課題領域とし、新しい価値を生み出していきたい。
この想いを実現するために「成長性×収益性×ワクワク度」のように、企業価値を立体的に捉えていく。一人ひとりが「ワクワク度」を考えてビジネスを行えば、社員自身がウェルビーイングな状態になる。そこで生まれた商品やサービスは、ウェルビーイングの実現に貢献するだろう。
島田 日本のウェルビーイングの底上げを一番のミッションとしている。
ウェルビーイング向上の指標として「PERMA」(※)を知っていることでよりよく、より楽しく生きることができるだろう。
働く人のウェルビーイング向上に大切なことは「体験ベースの学習機会の提供」だと考える。現在和歌山県の梅農家で一次産業ワーケーションの機会を提供し多くの人が参加しているが、これがPERMAの向上に役立っていると感じる。ワクワクしながら何か(たとえば梅拾いなど)に夢中になることが、社会や地域、組織に貢献し、生きている意味を実感することにつながる。こういう感覚を得る体験を増やしていきたい。
前野 それぞれフィールドは違うが、ウェルビーイングの世界が広がり育っていることを感じた。
高田 英語でウェルとビーイングの間に入るバー(ハイフン)のような「繋ぐ」役割が大切。我々だけではなく、事業者・自治体・学術界とのつながりを太く大きくし、ウェルビーイングを実現したい。
米女 一人ひとりがワクワクすることが、それぞれのウェルビーイングだ。一人ひとりを幸せにできる商品づくりをしていく。
島田 ポジティブ感情が高まることで脳が拡張し、そこに新しいアイデアや行動がもたらされる拡張形成理論では、ネガティブな感情が高まると脳は収縮することがわかっている。ポジティブな感情をもつことに意識的になる世界をみんなでつくっていきたい。
※「PERMA」=「Positive Emotion」 「Engagement」「Relationship」 「Meaning」「Accomplishment」 の頭文字
【対談】「私たち」起点が重要
聞き手 藤井 省吾 日経BP総合研究所 主席研究員 チーフコンサルタント
藤井 森永乳業が3月に発表したウェルビーイングステートメントとは。
久野 社員である「私たち」とお客さまを含む国内外の生活者である「人々」のウェルビーイングが常に循環している姿を示したものだ。「私たち」から始まる点も重要で、私たちが安心・健康・幸せであることで、人々の安心・健康・幸せに貢献することができるという好循環を目指している。
藤井 ヒトにすむビフィズス菌に関する論文数が企業としては世界一だ。
久野 1960年代からヒト由来のビフィズス菌の研究を続け、様々な効果がわかってきた。2025年の大阪・関西万博では「腸からつくるウェルビーイング」をテーマに出展予定。
最近では加齢に伴い低下する記憶力を維持する作用を持つものを発見し、機能性表示が受理されている。ビフィズス菌と腸内環境を研究の一つの柱に据えているが、わからないことも多く、宝箱だと感じている。
藤井 健康に関する情報発信も強化している。
久野 健康増進・食育活動への参加者数を30年度までに延べ100万人にするという目標を掲げ、企業などへ「健幸サポート栄養士®セミナー」の展開を進めている。また、健康価値の提供を5領域からなる健康強化マップとしてまとめた。体と心の両面でお役に立てる企業として、価値向上に取り組んでいきたい。
【パネルディスカッション】わくわく感が価値創出
亀田 誠治氏 音楽プロデューサー・ベーシスト
小澤 杏子氏 丸井グループアドバイザー / 前ユーグレナCFO
モデレーター 小布施 典孝氏 電通 FutureCreative Centerセンター長
小布施 ウェルビーイングに関して思うことは。
小澤 人それぞれ定義が違う。自分がいいと思う生き方を相手に押し付けないことが重要だ。
亀田 僕の仕事の80%以上は人の話を聞くことだ。人の話を聞くと自分では見えなかった景色が見えてくる。ウェルビーイングはお互いで作り上げていくものではないか。
佐藤 僕の中でウェルビーイングは、日本語で言うと「なんかいい感じ」だ。僕らは組織資産のことを「わくわく資産」、人的資産を「いきいき資産」、顧客を「にこにこ資産」と呼んでいる。その循環が出来上がっていると、ウェルビーイングの連鎖が生まれる。
小布施 いろんな人がいきいきしてわくわくしている関係性の構築が、企業価値につながるということか。
佐藤 その通りだ。企業価値は全て未来にある。
小布施 ウェルビーイングとヒットの関係は。
亀田 ヒットを狙って音楽をつくったことはない。自分がわくわくすることが大前提。先にウェルビーイングがある。
小澤 現在就職活動中の私がインターンシップに参加する際に、見ているものは人である。仕事や肩書きや年収も大切だが、結局、人とのコミュニケーションがベースになる。
小布施 日比谷音楽祭は、社会をウェルビーイングにするプロジェクトではないか。
亀田 ある日、ニューヨークのセントラルパークを散歩していたら、風に乗って音楽が聞こえてきた。それがサマーステージというフリーイベントだった。音楽のある生活はウェルビーイングだと感じた。
今、一番怖いことは、人と人とが離れてしまうマインドディスタンスだ。この距離を押し付けがましくなく自然に埋めていくことができるのが、音楽や文化の力だと信じている。
佐藤 僕は会社や仕事の場と文化の掛け算がウェルビーイングを生むと思っている。企業×文化で価値創造ができる。働きやすさだけだと企業価値や株価はあまり上がらない。ウェルビーイングを生むためには、一人の中にいろいろな面があるという「分人」の感覚があるといい。
小澤 自分はこうあるべきと決めつけないため分人的な考えは重要だ。
小布施 みんなでつくるウェルビーイングな未来風景をどう描いているか。
佐藤 一緒に山を登れたらいい。
亀田 今日は一生のうちで一番「ウェルビーイング」という言葉を使った。これだけで僕の意識も変わってくる。この積み重ねがウェルビーイングな未来風景をつくるのではないか。
小澤 一緒につくるという意味で年齢は関係ない。バトンを渡す側ともらう側のマッチングが重要だ。
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