■「平日は研究」 退団後のボランティアが契機に
――まずは近況についてうかがいます。どんな毎日ですか。
美園氏(以下敬称略) コロナ禍を受け、大学院の授業もリアルとオンラインのハイブリッド方式になっています。だから、場所がキャンパスとは限りませんが、「平日は研究」という日々です。研究は、とにかく自分で進めていかないと……。週1回は教授と打ち合わせがあるので、その準備も欠かせません。
退団後ほどなくして、何か人の役に立つことがしたいと子ども関連のボランティア活動に携わるようになりました。大学院に入ってからは時間的に難しくなりましたが、いまも時折、こども食堂のお手伝いなどにうかがっています。
(大学院での)学びの方ですか? 一言でいうと、ビジネススクールに近いイメージでしょうか。周囲には起業を目指している方もいらっしゃいます。前期の授業ではCEO(最高経営責任者)としての立場で討議する、といった経験もしました。
――美園さんのこれまでの歩みを振り返りますと、宝塚音楽学校のご入学前に実用数学技能検定(数学検定)の準2級(高校1年程度)で文部科学大臣賞(個人賞)を受賞され、宝塚時代から通信制の大学で学んでいらっしゃった。「大学院で学ぶ」という進路は、ずっと温めていたのですか。
美園 いえいえ。退団後、ボランティアとして最近の子どもたちと対峙するなかで、「もっとこうしたらどうなのかな」というアイデアがフツフツと湧いてきて……。それで大学院を選んだ、みたいな感じです。
ボランティアに参加してビックリしたんですよ。小学生なのに、みんなすごく大人っぽくて。喜怒哀楽や本心を出さないというか……。
私の子ども時代は、無邪気に目の前のことを楽しんで泣いたり笑ったりしていた。母は私が小さい頃から、よく美術館に連れて行ってくれて本人がオペラ歌手だからというのもあるでしょうが、音楽にも親しませてくれました。そうした、いろいろなものに触れる「ゆっくりとした時間」を楽しむ余裕がもっとあったように思うんです。
けれど、いまの子どもたちはデジタルネーティブじゃないですか。目の前にスマートフォン(スマホ)があって何でもすぐに調べられるし、いろいろ分かったつもりにもなる。一方で、実体験が足りないところも多い。私が違和感を覚えた彼らの大人っぽさは、そのギャップがもたらしたのではないかと考えました。
いまは机に向かうにも、まずはスマホという「敵」を捨て去る必要がある。いろいろな体験に時間を費やすことは難しいかもしれません。それでも、成長過程にある子どもたちには、無邪気に泣いたりガッカリしたり、そういう経験をもっとしてほしい。人とぶつかっていったん傷つくとか、それでもがんばろうと思うとか……。
■「困難に立ち向かえるように」 実体験から思い描く夢
――「笑う」「うれしい」より「泣く」「傷つく」などの体験に関心をお持ちの理由は。
美園 人生って、試行錯誤していくからこそ面白いと思うんです。私自身も挫折をいっぱい経験しています。宝塚音楽学校だって1度は受験して落ちている訳ですし(苦笑)。社会に否定される経験は本当に影響が大きい。けれど、挫折や失敗にちゃんと向き合えば、その先にはすごく楽しいことが待っている。
最近、若い人の自殺の増加など悲しいニュースを見聞きすることが増えました。そうした状況を防ぐうえでも、ボランティアで子どもたちに対峙したときに考えた、「もっとありのままでいられて、困難な状況に立ち向かえるようになるにはどうしたらいいのか」ということを深めていきたいと思った。それが大学院進学につながりました。
――リスキリングの先に実現したいことは。
美園 人の力になれる「プラットフォーム」をつくりたいです。ボランティアで感じたことだけでなく、自分の実体験からもそういう夢があります。
10年ほど宝塚という場所にいて、それはそれで厳しい社会じゃないですか。私自身も常に「強くなくてはいけない」と思っていました。(当時は)「心が折れた」と立ち止まる暇なんてない。どんどん時は進んでいくし、短いお稽古で早く役を自分のものにして、お客様に完璧な状態で舞台をお見せする。それが仕事です。
でも、体は正直です。いっとき、全身に湿疹が出て結構大変な状態になってしまったことがありました。それでも弱音は吐いていられません。
いま振り返ると、「スポ根」のように自分で自分を厳しく追い込みながら進めていくやり方も悪い訳ではないと思います。そうした経験を通じて得た大きなものが、自分の中にあるのも確かです。ただ、そのときは本当に苦しかった。
私の場合は、幸運なことに周りの方にとても恵まれました。だから、何か困難に直面したときも、ご縁をいただいた方にいろいろ相談したり助言をいただいたりして乗り越えることができました。けれど、必ずしも全員が必要なときに必要な助けをもらえる訳ではない。そう思うのです。
困っているときに、心をハッピーにしてもらえる何かは、必要なときに欲しいじゃないですか。それは懸命に稽古に取り組む日々のなかで痛感した部分です。それもあって、「自分の経験を基にして、社会に役立つことは何だろう」と考えたときに、真っ先に思いついたのが人の力になるプラットフォームづくりだったんです。
■悩める若い人が専門家らに「出会える場」を
――具体的にはどんなことを思い描いているのですか。
美園 実現できるかどうかはさておき、いま、ざっくりと考えていることがあります。それは悩める若い人たちが、カウンセラーの方や私のような特殊な経歴というか、たとえば芸能関係の方やアスリートの方と「出会える場」の提供です。
カウンセラーの方と違って、後者は心理学の専門家ではありません。けれど、第一線で厳しい世界を生き抜くなかで、そうした方々は処世術もそうだし、コミュニケーションの取り方でも「自分なりのやり方」というのをそれぞれに体得していらっしゃると思うのです。それがヒントになるのではないかと考えました。
相談の場は既にいろいろあります。けれど、宝塚で困難に直面したときに「自分が相談したことで周りに知られたらどうしよう」と不安を抱いたことも。だから、私が目指す「場」では、匿名で相談できるようにすることが必須だと思っています。
いまはテクノロジーが発達したことで、仮想現実(VR)や拡張現実(AR)の技術も使えます。そうした技術を駆使することで、悩める若い人がゲーム感覚で気軽に入れるような場をインターネットを介して提供できたらいいなと考えています。
誰もが死という究極の選択を選ばずに、自分の寿命を全うできる世界になってほしい。それには自分の経験だけでなく、知識を習得する必要があると考えて現在、研究を進めているところです。
■新しい視点が得られたら心に「新たな日」が灯る
――「心をハッピーに」「希望を届ける」という点では、宝塚時代と共通する部分がありそうですね。
美園 ぶれない自分みたいなものが、ずっといるのは確かです。
私は「向上していくためには何が必要なのか」みたいなことを常に考える質(たち)で……。宝塚で先生方やスタッフの方々から様々なご指導をいただいて一生懸命、自分のエネルギーを放出していたときも、いまほど具体的ではありませんが、「心を助けるこういうものがあったなら、社会にも応用できるかな」と、どこかで考えていたように思います。
夢であったり、元気をお届けしたりするためには、自分自身にエネルギーを蓄えていないといけない。いろいろ悩むなかで、「自分がこんなに弱ってしまっていたら、良いものをお届けできる訳がない」と気づきました。
宝塚で出演させていただいた『I AM FROM AUSTRIA』という作品に大好きな歌詞があります。「やがて雲は切れ新たな日が灯(とも)る」という言葉です。本当にその通りだと思います。
厳しい状況もいつか抜けられます。困難に直面していて出口が見えず、苦しくて仕方がないときは、ちょっと横道に入って心のゆとりを取り戻せるといい。それができたなら、同じ課題に対しても新しい視点やインスピレーションが得られます。正に、「新たな日」が灯るように思うのです。
私の場合は、その「横道」が通信制の大学でもあった訳ですが、そうして得たプラスαはリアルな生活に取り込むこともできる。私が目指す「出会える場」などで時には横道に入りながらも、それで若い人たちが自信を持って社会に出て行くことができたならば、困難に直面しても希望を持って進んでいけるのではないでしょうか。
■新規性のあるものを作り出していきたい
――大きな夢ですね。
美園 はい。ただ、大学院の2年間というのはすごく短いので、夢の実現にはちょっと難しいです。そこで、集団でのコミュニケーションという観点から、狭いカテゴリーにはなるのですが、まずは演技指導におけるより良いコミュニケーションの在り方について研究したいと考えています。
演技指導というのは、かなり厳しめで濃密な時間です。ご指導くださる方々は皆さん、クリエイターでいらして、ご自身の思い描く舞台になるように「こうしてほしい」と役者に伝える訳です。ただ、言葉というものは時として暴力にもなる。伝え方次第では、剣となって役者を傷つけてしまうことも。
それが生身の人間同士ではなく、たとえば仮想空間でアバター(分身)を介して伝えられたならば、どうでしょうか。役者にとってはリアルな指導の場合より、役の幅を広げることだってできるかもしれません。まずはそんなところから、集団でのコミュニケーションについて研究を進めたいと考えています。
――VRやAR、アバターなどテクノロジーの活用にも関心があるのですね。
美園 新規性のあるものを作り出していきたい。そうした思いが常にあります。
新しいものを生み出すには、リスクも取らなければいけません。そのことに関していうと、私は勝負師な部分がありまして。「イチかバチかだけど……」という場合は、「とりあえずやる派」なんです。
宝塚でもそうでした。伝統というもののかけがえのなさやその重みは重々、承知しています。そのうえで何か変革というか、「往年のファンの方をがっかりさせずに、時代に合う新しいものにするには、どうやったらできるんだろう」とずっと考えていたように思います。ただ、もしかしたらそうした部分が「ちょっと違うのではないか」とご批判やご指摘を招いた部分かもしれません。
いろいろなことがありますが、人間は壮大すぎる理想を掲げて生きていった方がいいと思うんです。「ばかじゃないの」って言われてしまうくらい、大きな夢って絶対、持っていた方がいい。アバウトなことでもいいから、それを目指していくと、自分の本質に向き合えるんじゃないかな、と思っています。
■壮大なSDGs 多くの人の目標に重なることも
――SDGsについては、どんな風にとらえていらっしゃいますか。
美園 SDGsこそ、壮大すぎる目標ですよね。それでも、大まかな理想を掲げておくことで、皆に共通の目標ができる。17の目標のなかで、ご自身の目標と重なることがあるという方も多いのではないでしょうか。
先日、出身地である東京都江戸川区のSDGs関連のイベントに足を運んでみました。そこでは、SDGsの達成に向けて、自分が実践していることにシールを貼ってみようというコーナーがあったんです。私もやってみまして、「あぁ、自分のささいな行動もSDGsの実現につながるんだなぁ」と実感しました。
目標のなかで特に関心があるのは、8番目の「働きがいも経済成長も」です。というのも、いま、大学院で若い方々とご一緒していて感じていることがあるからです。
若い皆さんも、ボランティアで出会った子どもたちと同じように、ご自分の本質をあまり表に出さない方が多いように感じます。他人との接し方もどこか上っ面になりがちな感じがしていて、これはまずいんじゃないかと。
――どういうことですか。
美園 先ほど申し上げたように、周囲には起業の目標を持っていらっしゃる方もいます。その実現を考えるなら、たとえば投資家を集めるとか、顧客であれ従業員であれステークホルダー(利害関係者)の共感を得る必要がある。そうした求心力を発揮していけるようになるためには、時として自分の弱さだったり、少し恥ずかしい部分だったりをさらせる場があっていい。社会で生きていくうえで、人とのコミュニケーションをより密にできるように学んでいくことが不可欠ではないかと思うのです。
「働きがいも経済成長も」で、若い人たちが生産性を高めていくうえでも同様だと思います。それぞれが自分というものにきちんと向き合ったうえで、人に伝える力や人の中に入り込んでいく力など周囲との関係性を高めるスキルがないと、難しいのではないでしょうか。
■若者たちが自分に期待できる社会に
――そうしたスキルを高めるうえで、アドバイスはありますか。
美園 相手を尊敬する気持ちや思いやる気持ちも大切ですし、自分というものをどう相手に見せていくか、プロデュースしていくことが必要な場面もあると思います。そうした力は、リアルな社会経験だったり、いろんな壁に向き合うなかでもみくちゃにされたりすることで養われるものではないでしょうか。
そのためにも、何か厳しい状況に直面したときに、立ち向かえるように「心の筋力」を高めるお手伝いがしたい。自分の可能性は無限大なのに、自分で自分を止めてしまったらもったいないと思います。人生って1回しかない。若い人が、もっと自分に期待ができるような社会になってほしい。そう願っています。
(聞き手は佐々木玲子、矢後衛撮影)