■パネルディスカッション 無形資産経営に向けた人への投資の在り方
岩本 隆氏 慶應義塾大学 特任教授
柳 良平氏 早稲田大学大学院会計研究科 客員教授
内ヶ﨑 茂氏 HRガバナンス・リーダーズ 代表取締役社長CEO
多様性生かし成長促す
内ヶ﨑 人財、知財といった無形資産に投資して価値を最大化する無形資産経営が、失われた30年からの脱却につながると考えています。無形資産経営を実現する上で「人への投資」はどうあるべきでしょうか。
谷村 アサヒグループでは中長期経営方針の中で、戦略の基盤強化として「人的資本の高度化」をうたっています。それをキーワードに、社員と会社が共に成長していく取り組みを推進しています。
具体的には、人材戦略として①ありたい企業風土の醸成②継続的な経営者人材の育成③必要となるケイパビリティーの獲得――という3つのアプローチごとに取り組みを実践し、それぞれを評価・検証しています。これらの人材戦略が三位一体となって経営戦略と連動し、自律的に回る姿をつくっていきます。
岩本 人的資本への投資には、「給料を上げる」「リスキリングに投資する」など様々な領域がありますが、今最も力を入れるべきなのは事業ポートフォリオの変革ではないでしょうか。新規ビジネスを創出するイノベーティブな組織に変えていくことが必要だからです。
イノベーション理論では多様性についてよく言及されますが、日本では性別や年齢など、人の努力では変えられない多様性に関する議論が盛んです。しかし、イノベーションの創出には異能人材あるいは異質な人材を掛け合わせる「コグニティブダイバーシティー(認知的多様性)」が重要で、そうした企業文化をつくるための投資が大事だと考えています。
内ヶ﨑 「従業員が総活躍できる環境づくり」は、生産性の向上のみならずイノベーションの創出にもつながり、強じんなビジネスモデルを通じて価値創造のナラティブ(物語)をつくっていくと考えられます。具体的にどのような取り組みをされていますか。
柳 従業員が総活躍するための原点はパーパス(存在意義)にあります。私がアドバイザーを務めるエーザイは、2005年の株式総会特別決議で「患者様と生活者の皆様の満足の増大」というパーパスを定款に入れました。1万人の従業員にパーパスを浸透させるため、年間1%に該当する営業日をパーパスに使うことを義務化しています。またパーパスを体現するプロジェクトとして熱帯病の治療薬を25の新興国に配りました。その社会的なインパクトの価値は約7兆円と算出されています。投資家などから多くの支持をいただき、有能な人材の獲得、従業員離職率の低下など、人的資本の活性化につながっています。
谷村 私たちは、従業員エンゲージメント(貢献意欲)の向上だけでなく、従業員が成長し続ける土台をつくることが総活躍に必要な環境づくりだと考えています。国内外約3万人の従業員には、3万通りの個性と活躍の仕方があり、それを自律的に回る状態にすることが肝要です。21年には健康や安全、多様性など、グループの基本的な考え方や在りたい企業風土を記述した「ピープルステートメント」を策定しました。これをベースに、社員参画型の施策を多数実施。例えば役職や部門に関係なくグローバル各地域から代表者を出してカウンシルをつくり、ピープルステートメントの目指す姿をつくるために協働しています。まだ土台づくりの段階ですが、エンゲージメントが自律的に向上していくようなケイパビリティー(能力)を根付かせることが経営者の役割と考えています。
内ヶ﨑 多様性の欠如や報酬・賃金格差などの社会課題の解決は、コーポレートブランディングの強化につながります。社会課題の解決に向けた「人財投資の在り方」とは何でしょうか。
岩本 近年グローバルでは、「DEIB(ダイバーシティー・エクイティー・インクルージョン&ビロンギング)」のうち「エクイティー(公平性)」に取り組む企業が増えています。何らかの社会的なハンディキャップがある人に投資し、能力発揮を促すことで会社の業績を上げていくという考え方です。一方、「ビロンギング(所属意識)」は、様々な個性を持つ人が集まる中で所属意識の高い企業文化をつくることです。日本企業は同質な集団なので所属意識は高いのですが、異質な人同士の集団で所属意識を高めることは簡単ではありません。しかし多様性や社会課題の解決に、様々な思考特性や行動特性、経験やスキルを持つ人たちとの間で、所属意識の高い企業文化を構築していくことが重要です。
柳 「柳モデル」を提唱しています。無形資産や人的資本などの見えない価値は、株価純資産倍率(PBR)1倍を超える部分に反映されるという考え方です。実際エーザイをケーススタディーに重回帰分析を行ったところ、人件費投入を1割増やすと5年後のPBRが13.8%向上し、研究開発投資を1割増やすと10年超で8.2%拡大するなど、PBRを高める正の相関があることがわかりました。現在エーザイのPBRは3倍弱で推移しています。柳モデルは既に数十社が採用しており、投資家とのエンゲージメントに生かされています。
いま日本企業の平均PBRは1.2倍程度と過小評価されています。潜在的な無形資産の価値を定量化して説得できれば、少なくとも世界平均のPBR2倍程度にはなるはずです。それには経営者の投資戦略と説明責任が必要と考えています。
内ヶ﨑 最後に日本の企業、日本社会の未来について、期待感を含めてメッセージをお願いします。
谷村 価値創造企業へと進化していくために、経営者自身が個性を生かし、自ら成長・変化していくことが欠かせません。
岩本 日本企業が持つ組織力の強さを発揮して、とがった個性を掛け合わせて新たな企業文化をつくり上げていってほしいです。
柳 人材投資も研究開発投資も企業価値を高めるには5年から10年の時間が必要です。無形資産への投資は長期志向で行うことが重要です。
■パネルディスカッション 戦略法務推進によって追求する無形資産経営
小関 知彦氏 TOPPANホールディングス 執行役員法務本部長兼法務部長
少德 彩子氏 戦略法務・ガバナンス研究会 会長、パナソニック ホールディングス取締役 執行役員グループ・ゼネラル・カウンセル
前田 絵理氏 EY弁護士法人 ディレクター
法務の戦略活用は必然
前田 無形資産を活用する上で、法務機能を適切かつ戦略的に活用する必要があります。取り組み状況を教えてください。
鞍田 当社では中核事業である総合エンジニアリング事業の深化を経営計画の柱に据えています。その実現はコスト競争力だけでは難しい。そこで技術的な差別化に重点を置いて、知財やノウハウを獲得・保護して戦略的に使うことに注力しています。
当初知財部は事業会社にありましたが、10月からは日揮ホールディングスのガバナンス統括オフィスに知的資産ユニットを置きました。同時に、人事や財務、法務の機能をまとめた会社を設立し、事業部との連携を深める体制を取っています。無形資産、知財部門の戦略的活用は生命線なので、法務部門との連携強化を図っています。
小関 当社は印刷事業が祖業ですが、現在の情報系事業における売上比率は20%台。今回ホールディングス化で、社名から「印刷」という名称を外しました。ビジネス環境が大きく変化する中、事業ポートフォリオの転換を図っています。印刷事業で得た技術やノウハウは貴重な無形資産であり、それらを用いてお客様に新たな付加価値をつけて製品・サービスとして提供しています。
無形資産の活用において、法務の力は必須だと考えています。法務には、アイデアを現実化する、地に足のついたものにする能力があります。様々なアイデアをビジネスの形にしていくため、法務部門が密接に関わっています。
少德 「環境」と「くらし」をグループ全体の貢献領域に定めています。「くらし」の領域ではお客様との多様なつながりとデジタル活用を掛け合わせ、お客様の価値観に合った製品・サービスを提供する「くらしのソリューション・プロバイダー」を目指しています。いまお客様との接点で得たデータの利活用について、機能横断型の社内プロジェクトが立ち上っています。データプライバシーに関して、法務機能がIT(情報技術)部門と連携して主要な役割を担っている一例です。
前田 企業法務では、いかに法務機能を企業内で強化していくかが課題です。法務の専門家をどのように育成していますか。
少德 法務機能の唯一の財産である人・組織に着目し、昨年は法務機能のビジョン、ミッション、バリューを定め、今年は法務機能の中長期の在りたい姿を示し、新たな施策の立案・推進を開始しました。人材育成は、その中核をなし、法務機能のけん引・底上げのために必要不可欠です。法務機能独自の人材育成プログラムの策定・実施、グッドプラクティスの共有など、地道かつ継続的に取り組んでいます。
小関 法務部門の人材に対して、階層別に「在るべき姿」を策定し、育成しています。法務部門には様々なバックグラウンドを持つ人間がいるので、在るべき姿は同じでも、そこに至る道はいろいろ。臨機応変に組み合わせて研修を実施しています。また、事業部駐在制という形で各事業部に法務担当者を置いています。事業の幅が広いので、ローテーションによって知識の幅を広げています。
鞍田 「Thought Partner of Business」「Think Out of Box」「Training」という3つの英語の頭文字を取った「3Tイニシアチブ」を掲げ、法務部員を鼓舞しています。入社2年目での海外駐在、4年目での事業部でのローテーションのほか、人材育成プログラムに力を入れ、専門性を磨く研修を実施しています。
前田 強い法務機能を有する企業の特徴は。
小関 法務専任の担当役員がいることや、社長直轄の独立組織になっていることは、判断基準の一つになるのではないでしょうか。
少德 重要な意思決定の場で、どの程度法務機能を発揮できているかどうかが、一つの判断基準だと思います。もう一つの視点が人材配置です。人数だけではなく、新卒採用による地道な育成や切磋琢磨(せっさたくま)できる環境づくりなど、継続的な質への投資も判断基準になります。
鞍田 事業への高い理解が法務には重要です。予測できないリスクが増えている中で、会社の経営戦略に法務的・リスク的な観点で意見できるゼネラルカウンセル(最高法務責任者)機能があるかどうかもチェックすべきです。
前田 法務以外にリーガル的な発想を身につけるための取り組みは。
鞍田 法務人材が「ゼネラル・カウンセルの役職に就く」「経営に積極的に関与して企業価値を上げていく」ことです。例えば海外の案件を海外の弁護士に任せず法務部員が行うとか、海外企業と対等な形で交渉できるだけのタフな人材を育てることが大切です。
少德 経営層や事業部門と法務部門との距離を縮めて、接点を増やすことが重要です。経営法友会が実施した調査で、「経営陣から法務部門に対して判断や意見を求められる頻度は」という問いに対し、「年に数回程度」が49%、「月に数回程度」が42.1%という結果でした。自社の成長や価値向上に法務部門を十分活用できているのか、経営層は改めて考えてほしいと思います。
小関 法務的な視点から経営者が腹落ちする提言や行動ができれば、その思考形成にも影響し信頼も上がります。また、ブランドなどの無形資産を活用する経営では想定外のリスクがあります。従業員のリーガルリテラシーを上げ、危険を察知する能力を底上げすることも法務部門の重要な役割です。
前田 目には見えない無形資産を自社の権利として保護するのは財産権の枠組みであり、戦略的な法務機能が不可欠です。多様な課題がある現在、高度な法務機能を備えていないとグローバル競争に勝てないのではと危惧しています。事業環境、経営戦略、事業戦略に基づいて、自社に求められていることは何なのか、再定義して法務機能も含めた機能強化を推し進め、経営課題に対処していくことが求められます。
協賛:旭化成、アサヒグループホールディングス、EY 弁護士法人、TMI 総合法律事務所、TOPPAN ホールディングス、ナブテスコ、日揮ホールディングス、古河電気工業
後援:内閣府、経済産業省、金融庁、日本証券アナリスト協会、日本知的財産協会
協力:知財・無形資産 経営者フォーラム、HRガバナンス・リーダーズ