政府は2023年9月25日から10月6日まで、日本の金融市場の魅力を対外発信するJapan Weeksを実施した。その一環として、日本経済新聞社では「日経サステナブルフォーラム」を開催。10月2日に「第1回 NIKKEI 知財・無形資産シンポジウム」を行った。知財・無形資産の活用によるビジネスモデルの構築、持続的な成長に向けた投資、サステナブルな事業をつくる好循環経営などについて、専門家や有識者が活発な議論を展開。日本経済復活に向けたヒントが多数提供された。
■Opening Remarks
デイビット・アトキン氏
Principles for Responsible Investment(PRI) Chief Executive Officer
コミットメントから行動へ
国連の責任投資原則(PRI)は、持続可能なクロ―バル金融システムの構築を支援するため、2006年に設立されました。「投資プロセスにESG(環境・社会・企業統治)の要素を組み込む」など6つの原則に対して、現在約5500の機関が署名し、運用資産額は120兆ドルを超えました。PRI署名機関数の増加は、責任投資の成熟度の高まりを反映しており、ESGを考慮して投資先を選定することはもはや主流となりました。
気候変動や生物多様性に関して世界的な合意がなされる中、責任投資への期待は一段と高まっています。30年までの達成を目指すSDGs(持続可能な開発目標)に残された時間はあと7年。現在の削減ペースではパリ協定で掲げた1.5度目標に達しないのは明らかであり、大幅なCO2排出削減が求められます。
第28回国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP28)に向け、投資家もこれまでの貢献に加え、行動の質をより高めていくことが不可欠です。今、世界が直面する多様な危機は全て相互に関連しています。金融、経済、環境、社会をトータルにとらえ、責任ある投資家として難題に立ち向かっていくことが求められています。
PRIでは日本、アジア、そして世界中で責任投資のエコシステム(生態系)発展に向けた支援を行っていきます。そして企業における気候変動や人権に関わる行動を強化・拡大し、持続可能性に向けたビジネスモデルの早期実現、ガバナンスの強化などを促していきます。PRIの23年度のテーマは「コミットメントから行動へ」です。世界の責任投資コミュニティーが協力して、行動を加速させていきます。
■ご挨拶
工藤 幸四郎氏 旭化成 代表取締役社長/知財・無形資産 経営者フォーラム 会長
知財で日本を元気に
日本企業は戦後、驚異的な経済成長を遂げました。数々の革新的な技術やアイデアを生み出し、高度な知的財産を形成しました。しかし、1990年代から2020年にかけて日本の経済成長は鈍化し、失われた30年といわれる状況が生まれました。この間、欧米企業はもちろん、アジアの新興企業が知財・無形資産を生かしたビジネスモデルを展開し、急速な発展を遂げました。彼らの成功は、知財を経営戦略の中核に据え、その力を最大限に引き出すことの重要性を示しています。
今、複雑な地政学的リスクが影響を与える時代を迎えています。同時に地球環境問題が深刻化し、その解決への取り組みが急務となっています。こうした大きな変化の中で、企業経営はますます困難を極めており、知財・無形資産をうまく活用した経営戦略の重要性が増しています。
日本企業は、これまで培ってきた独自技術やブランド価値、研究開発の成果を生かし、国際競争において優位性を保つ必要があります。特に知財戦略は企業の持続可能な成功にとって不可欠な要素であり、安定的な収益確保や環境変化への適応力を強化できるものです。こうした考えの下、22年10月に「知財・無形資産 経営者フォーラム」を設立しました。日本経済の活性化に向け、知財・無形資産を活用した経営戦略を探求しています。「知財で日本を元気に」をモットーに、知財を生かす経営者やリーダーの育成、新たな政策の提言、そして知財・無形資産を武器にした戦略の具体的な形を示していくことを使命とし、経営者同士や有識者との協力の下、日本企業の活力を取り戻す場として成長を目指します。
■パネルディスカッション 「攻めの知財・無形資産経営」で蘇る日本
木村 和正氏 ナブテスコ 代表取締役社長最高経営責任者(CEO)
宮川 美津子氏 TMI総合法律事務所パートナー弁護士
奈須野 太氏 内閣府 知的財産戦略推進事務局長
渋谷 高弘 日本経済新聞社 編集委員
企業価値向上の源泉
渋谷 米国の知的財産関連の調査会社によると、企業における無形資産の時価総額に占める割合が米国企業は9割に達し、欧州企業は7割なのに対して、日本企業は3割にとどまっています。では日本企業に知財・無形資産がないのかといえば、年間30万件の特許を出願し、世界3位です。知財・無形資産の量で負けていないのに、評価につながっていないのは、知財・無形資産経営ができていない、対外アピールが不足しているのではないでしょうか。そこで今日は攻めの知財・無形資産経営について議論していきたい。最初にそれぞれの取り組み状況を教えてください。
小林 2017年に社長に就任した当初から社内に「知財は戦略のど真ん中」というスローガンを発信し、知財経営へのシフトを図りました。それまでの「守りの知財」から「攻めの知財」へとマインドセットを変え、知財情報解析を活用して戦略提言を図る知的財産(IP)ランドスケープを推進し、事業を強化、新事業の創出に注力しています。こうした取り組みは毎年度、知的財産報告書という形で情報開示しています。当社のDNAである、「新技術を大切にせよ、社会に役立つことをせよ」をつかさどるものは知的財産であり、知的財産なくして、経営における「人づくり、価値づくり、強みづくり」は実現できないと考えています。
木村 ナブテスコでは知的財産を含む無形資産をコア価値と称し、コア価値の維持・強化に取り組んでいます。私が議長を務め、経営陣が参加する全社知財戦略審議で知財戦略の基本方針を審議。その基本方針に基づいた事業戦略を議論する事業部門の知財戦略審議と、知財戦略に横ぐしを通す知的財産強化委員会を設け、それぞれが有機的に結びつきながら、コア価値の強化に向けた活動を行っています。コア価値の提案件数はKPI(重要業績評価指標)として事業部門の業績評価に連動させており、また、アイデアを創出する社員比率の拡大を推進しています。
宮川 TMI総合法律事務所では、企業活動における知的財産の重要性に早くから着目し、知的財産の権利化からその活用、紛争解決まで一気通貫でサポートしています。現在知的財産を担当する弁理士は94人、弁護士は100人で、特許技術者やパラリーガル(法律事務職員)を合わせると300人を超えるスタッフ構成となっています。1998年に上海オフィスを開設するなど、グローバル展開も図っています。
奈須野 2002年に知財立国宣言が行われ、03年に知財基本法が制定されました。この知財基本法の下で、内閣総理大臣を本部長とする知的財産戦略本部が設置され、知的財産の創造、保護、活用のための推進計画を毎年策定し、様々な施策を推進しています。企業価値向上に知財戦略を生かすために、知財・無形資産を経営戦略として位置付けてもらうための活動を行っています。具体的には、22年1月に「知財・無形資産ガバナンスガイドライン」を策定し、投資家や金融機関と企業の間での積極的な対話を促しています。
活用のメンタリティー不足
渋谷 これまでの知財・無形資産経営に対する取り組みには課題もあったと思います。課題、反省について意見を聞かせてください。
宮川 知財・無形資産は単なるコストやリスクではなく、企業の競争力や収益性を高める戦略的な資源であるという認識が、日本企業の経営者には不足していたように感じます。日本の特許出願・登録数は決して劣るものではありませんが、多くの特許登録を保有するだけでは、企業価値や収益性の向上につながりません。知的財産をもって積極的に打って出るようなメンタリティーが圧倒的に欠けていると思います。また知的財産への投資は行ってきても、それを投資家や金融機関へ開示できていなかったり、開示の方法を持ち合わせていませんでした。コーポレートガバナンスコードが21年6月に改訂されたのは、経営者に知財・無形資産を経営課題として考えることを促す狙いでした。
小林 日本企業の経営者は自社の知財価値に気付かず、その評価や活用に対する意識が不足していた点は、大いに反省すべきだと思います。私には知財価値に気付かされた経験があります。20年に電気自動車向けの巻線事業で米国大手と合弁会社を設立しました。世界規模で事業を展開する相手企業のシェアは当社の10倍以上でしたが、我々の保有する400件近い特許や商標権、技術ノウハウを提示することで、出資比率を4割まで引き上げることができました。まだIPランドスケープを実施している日本企業が少ない中、自社の知財価値を見直し、よりオープンに知的財産を共有、共創に活用していくことを促す必要があります。
奈須野 日本企業は技術力の点で強みを持っていますが、その技術を活用して国際市場で商品やサービスとして展開するビジネスモデル創出の努力が不足していたと思います。そこで知財・無形資産経営を支援する施策を2つ検討しています。一つが知的財産を活用して無形資産投資を行う企業を後押しするため、24年度の税制改正で、日本国内で開発された知的財産から生じる所得に対して優遇税率を適用する「イノベーションボックス税制」の創設を、経済産業省が要望しています。もう一つが、国家標準戦略の策定です。技術で勝ってビジネスで負ける原因の一つに、標準化対応への遅れがあります。技術の社会実装や海外市場の開拓、経済安全保障の観点も含め、国として国際的標準化競争に勝つための戦略を考えていきます。
未財務という意識醸成を
渋谷 これから知財・無形資産経営の実現に向けて、具体的にどのような活動を行っていきますか。
宮川 知的財産の専門家として、まず企業の知財戦略の策定支援を行っていきます。経営戦略策定に必要な知的財産に関する情報や知識を提供し、理解や意識の向上をお手伝いします。また知財部門と経営者のコミュニケーションの懸け橋を担うなど、知財ガバナンス体制の整備を支援します。知的財産の取引やM&A(合併・買収)のサポートも行っていきます。
木村 知財・無形資産に関わる活動と経営目標との因果関係を明確化することが不可欠です。そこで、経営者、管理職、そして社員一人ひとりがコア価値向上の必要性を認識し、それぞれが果たすべき役割を明らかにしていこうと考え、昨年経営のマテリアリティー(重要課題)として人的資本経営の推進を掲げました。活動によって新たなコア価値が生まれ、その蓄積が次世代の人材育成や技術開発につながるよう、スパイラルな企業価値の向上を図っていきます。
小林 経営層がリーダーシップを発揮して、知財・無形資産は非財務ではなく、価値を創出する未財務であるという意識を社内に醸成していくことが最も大切です。それには知財部門だけでなく、研究開発部門、事業部門と一体となって、対話のツールとしてIPランドスケープを活用し、新たなビジネスモデルや価値創出につなげていくことが必要です。また株主との対話である「知財SR(シェアホルダーリレーションズ)」、投資家との対話である「知財IR(インベスターリレーションズ)」という2つの観点も重要です。古河電工グループビジョン2030に基づいた人材マネジメント体制の下で、「知財は戦略のど真ん中」をこれからも推進していきます。
渋谷 知財・無形資産を企業の価値創出につなげることを意識して実行していけば、日本企業の復活は実現可能だと、今日の議論を通じて改めて確信が持てました。