数学五輪で金メダル 「好き」が学びの原動力に
――まずはご経歴から。1996年、高校2年生のときに日本人女性で初めて国際数学オリンピックの金メダルを獲得されました。数学関連のエピソードとしては、中学3年生のときに1カ月間、同じ1問を考え続けたご経験もあるそうですね。
中島氏(以下敬称略) 当時、たまたま手にした雑誌『大学への数学』(東京出版)に大道芸人で数学者のピーター・フランクル先生の出題コーナーがありまして。そこに自分と同じ中学生が回答を寄せていたんです。「ならば私も」と挑戦するようになったのがそもそものきっかけです。
ある問題がどうしても分からず、食事中もお風呂でも電車の中でも、とにかく考え続けた。最終的に回答期限の間際、発熱で学校を休んだ日に解けました。たった1問に、そこまでのびのびと向き合えたのは、母のおかげかもしれません。
彼女は受験や偏差値は「表面的なもの」にすぎないという考えの持ち主で「学び」が大好き。順位や賞には目もくれず、ことあるごとに「学びはもっと面白いはず。人生と一緒でずっと続いていく」と言っていました。確かにいま、リスキリングが注目されているように、学びって本来は受験のためにするものではないですよね。
母の言葉通り、学びの楽しさみたいなものに気がついて自らはまり込んでみると、新しい価値を生み出せることも。そうした創造性発揮の原動力となるのは、ほかでもない「好き」という気持ちだと思います。その証拠に計算が苦手な数学者だっている訳なんです。「形が好き」だから、その道を究めたと。
「できる」で始めたことは意外に続かない。世界を見渡せば、教育を受ける機会に恵まれない人もたくさんいます。けれど、そうしたなかから数学の大天才も生まれているんです。やっぱり好きだから、教えられた通りになぞるのではなく、自分なりに考えて取り組むことで、そうした境地に達するのでしょう。
新しい学びSTEAM教育、「問いを立てる力」が重要に
――その後、東京大学の数学科に進み、「東京大学ジャズ研究会」に入会。名ジャズピアニストの故・本田竹広氏の知遇を得たことなどから、大学院入試を欠席して音楽の道に入られたとか。数学者、音楽家として活動しつつ、米国留学を経て2017年にsteAm(スティーム、東京・港)を設立しました。現在はSTEAM教育者として学校向けワークショップの開発や実証実験、講演なども手掛けています。改めて、STEAM教育とはどういうものですか。
中島 STEAMとは、Science(科学)のS、Technology(技術)のT、Engineering(工学)のE、Art(芸術)またはLiberal Arts(教養)のA、Mathematics(数学)のMという、5つの言葉の頭文字を組み合わせた言葉です。
前身はAを取った「STEM教育」です。オバマ元米大統領はこれをIT(情報技術)社会で国際競争力を持った人材を育てる重要な国家戦略と位置づけました。そうした経緯もあり、STEAM教育というと、理系人材増加策のような堅いイメージを持つ方もいらっしゃるかもしれません。確かに、一言でいえば「理数教育に創造的な教育を加えた分野横断的な学び」となります。
――日本でのSTEAM教育のとらえ方に疑問を感じることもあるそうですね。
中島 はい。思想を取り入れる際に注意したいのは、それがどういうコンテクスト(文脈)から生じたのかも理解すべきだということです。STEM教育もSTEAM教育も、根底には米国社会における経済格差の解消という狙いがありました。決して一握りの高度人材の育成が目的ではないのです。
むしろ、ITスキルなどの定着を下支えすることで、人種や世帯年収の違い、移民かどうか、障がいの有無などにかかわらず、多様な人々の可能性を広げる人材育成策といえるでしょう。インクルーシブ(包摂的)な魅力がある学びです。
もう一つ。STEAM誕生の背景には「知る学び」から「創る学び」への変革がある。いまはネットを通じて著名人ら遠い存在の「特別な人」に限らず、誰もが世界に発信できて新たな価値の作り手になれるかもしれない。STEAM教育はそうした「創造性の民主化」を促す契機になると考えます。
だから私自身は、STEAM教育を「21世紀の新しい学びであり、"遊び"」だと説明しています。ワクワクする気持ちを起点に、ITやテクノロジーを使って何かを作り上げるなどドキドキする体験も。そうした楽しさのなかで課題に向き合う。試行錯誤をしながら探究心や創造力を磨けるところが真骨頂です。
一番大事なのはすべての出発点となる「なぜだろう?」「こうしたらどうか?」といった、問いを立てる力を持っているかどうかということ。計算ができない数学者のお話のように、「好き」という言葉と置き換えられる興味や関心が、その起点になるはずです。
ツール活用も考えを聞かれる経験も「慣れ」が大事
――問いを立てる力を高めるヒントはありますか。
中島 新しいことを考えたり自分なりの何かをやったりするうえでは、「強さ」だけでなく「弱さ」もヒントになる。何かができない、苦手だといった弱さに価値を認めると、「こうしたらどうか」といった問いがすごくたくさん出てくると思います。
一例ですが、ライターは片手しか使えない人の視点から生まれたという話を聞いたことがあります。何かができないことは新たな発明の種になり、その何かができる人にも「使いやすくなった」などのプラスをもたらす。弱さの価値は消費生活に限った話ではありません。マイノリティー(少数派)としてキツい思いをしたといった経験は、多様性を尊重する社会への政策提言などに生きてくるはずです。
――「慣れ」も大事だと説かれています。
中島 たとえば、パソコンはじめIT機器や3Dプリンターといったツールの活用を考えてみてください。せっかく本当は創造性があるかもしれないのに、「使ったことがある・ない」とか、「やったことがある・ない」とか、ちょっとした違いが本人の創造性の発揮を妨げかねない。
問いを深めるカギとなる、「聞かれる経験」に慣れることも大事です。
20世紀は製造業の工場モデルが引っ張っていた。だから創造性より「ルールに基づいて」といったことが重視されがちでした。さらに日本の場合、「言われた通りにすること」「寄らば大樹で」など個人の意見や思いをそれほど求めないような空気感も見受けられます。「あなたはどう考える?」と小さい頃から聞かれる経験をしてきた人はそう多くないでしょう。
だから、いざ聞かれると、どこかから借りてきたようなお利口さんな答え方をするか、適当にお茶を濁して本気で答えないことも多い。若い世代がそこで失敗すると落胆して「やりたいことは?」と聞かれても「ない」などと(心を)閉ざしてしまう。けれど、言葉にしていないだけ。本当はいろいろ感じているんです。聞かれる経験が無かった人は答えづらい。聞かれる機会が増えて考え続けるうちに、ロジカルに相手に思いや考えを伝えられるようになっていきます。
テクノロジーの進歩もあって、より人間らしく生きられる時代になった。ちゃんと機会がみんなに開かれているのです。だから、聞かれる経験に慣れて問いを立てる力をもっと磨けるといい。深く考えるというのは、誰にとっても簡単ではないですよね。とはいえ、やっぱり、誰でも「自分は何者か」とどこかで問い続けながら生きている。少しでもその解が見えてきた方が幸せにつながっていく。そう思います。
怖がらずに「遊べる場」 図書館にも広げたい
――コロナ禍で断念せざるを得なかった、各地での取り組みも始まっているようですね。
中島 私が本当にやりたかった事業の一つも、ようやく動き出しました。22年度に経済産業省の「未来の教室」実証事業に部分的ながら採択された、図書館でのSTEAM教育です。
STEAM教育には、人の目や評価を気にすることなく「怖がらずに遊べる場」が必要です。のびのびと個性や創造性を発揮していくうえで、これが非常に大事だと考えています。それをどうしたら提供できるか、ようやく形が見えてきました。
当社が主催し、万博でも協賛をいただいている大日本印刷さんや東武トップツアーズ(東京・墨田)さんとこの事業でも協働しています。千葉県八千代市と香川県善通寺市の2拠点があり、不定期でイベントも開催。3Dプリンターやロボットを動かせるプロトタイピングツール、光や音が出てセンサーもついているマイコンボードなどで「遊び」を楽しんでもらっています。
目的もなく思うがままに何かに取り組んだことがプロジェクトに発展して、発表までしていただけたら理想ですが、ただ楽しむだけでもいい。それには「やってみては?」と後押ししてくれる、お兄さん、お姉さんみたいな存在も欠かせません。だから人材育成にも力を入れていきます。
図書館はやっぱりすごい場所です。実は海外で、人々がSTEAM教育に出合う場といえば、学校ではなく図書館であることが多いのです。
最初に始めたのは、米ニューヨークに住むある女性でした。彼女は「図書館にものづくりの場みたいなものを設けたらどうか」と提案したんです。最初は皆、半信半疑でしたが、いざ始まってみるとめちゃめちゃ人が来たそうで。これは面白いと常設化するようになって、北欧やアジア圏にも広がりました。
世界では、機械などを「いじくり回す」という意味のティンカリング(tinkering)の活動も美術館などに広がっています。これも取り入れたい。日本の場合、「ボタンを押すとこうなる」みたいな、かっちりと完全にきれいに作られた展示が多い。もっと、創造性を発揮しやすいように、たとえば粘土で何かつくれるとか、そこにテクノロジーで何か組み合わせるとか。そうした、ある意味で不完全な点がポイントとなるSTEAM教育の遊び場を美術館でも提供していきたいと考えています。
クラゲ館、世界の人々と対話もできるインクルーシブな空間に
――大阪・関西万博では「いのちを高める」がご担当のテーマです。シグネチャーパビリオン(※)「いのちの遊び場 クラゲ館」(略称:クラゲ館)は「0歳から120歳まで」に楽しんでほしいそうですね。
※編集部注:各界のトップランナー8人で構成するテーマ事業プロデューサーが自身のテーマごとにつくるパビリオン(展示館)のこと。
中島 先ほど、STEAM教育のインクルーシブな魅力についてお話ししました。クラゲ館も障がいや病気、さらには数学が苦手といった悩みの有無を問わず、創造の歓(よろこ)びや可能性を気軽に体験いただける空間を準備中です。世界中の人たちがフラットに対話できる場や世界の民俗芸能が集う祭りの場にもしたいと考えています。同時に全国に設ける「万博工房」では思い思いにツールや機器を使って、作り手になる面白さを実感してほしい。
私自身はテーマ事業のプロデューサーとしてパビリオンの設置・運営に限らず、万博を機にSTEAM教育という、新しい学びや遊びのうねりを広げていきたいと考えています。万博のようなプロジェクトは、多種多様な人のパワーの掛け合わせで、ものすごく大きなものを生み出せる。いまから、その成果が楽しみです。
SDGs、やるなら本気で
――万博が取り組み加速の機会と位置づけられている、SDGsについては、どんな考えをお持ちですか。
中島 よく考えられていて、17ある目標のどれも等しく大事だと思いますし関心があります。ただし、STEAM教育やダイバーシティ(多様性)もそうなのですが、形骸化しやすいのです。気になるのは、先進国がプラゴミ削減だ、サステナブルだ、脱炭素だ、と新たなビジネスマーケットをつくろうとしていること。そのこと自体はビジネスを回していかなければいけないので、目くじらを立てるつもりはありません。
ただし、結果的にその新たなビジネスマーケットに途上国が入っていないのはどうなのかと。欧米諸国が自分たちのルールで進めていて、それでもCO2削減という目標だけは途上国にも等しく課せられてしまう。光が当たる人や潤う人の偏りを危惧しています。とはいえ、とにかくやるっきゃないと。やるなら本気でやろうと。日本が途上国支援などで良い形で貢献できることを期待したいと思います。
タイパ志向の若者へ 五感を開き世界と出合おう
――研究、演奏、作曲に教育と実に多彩なご活躍ぶりです。時間の使い方で工夫はありますか。
中島 まだまだ、できていないと思います(苦笑)。1つ心がけているのは、創造的なことをするためのムダな時間をつくらなければ、と思って暮らしていることです。それがないと、ダメになる。スケジュールの余白を無理にでもつくるようにしています。
――学びを誘発する「遊び」を重視されています。しかし、Z世代の若者たちの間では時間効率を重視するタイムパフォーマンス(タイパ)志向も目立つようです。
中島 「最近の若者は……」はどの時代にもあること(苦笑)。上の世代が思っているより、彼らは粘り強いし考えるし、いろいろなことをやると思うんです。たとえば、速読は昔からありますよね? タイパも悪いことばかりではないはずで、全否定する必要はないと思います。
ただ、彼らは若いというか、世界が狭いのではないでしょうか。特に、日本で暮らしていると、似たような人が多く、そうなりがちです。それでいつのまにか、易きに流れて表面的に情報を得るだけでもやり過ごせてしまうというか……。
若いうちって、いろいろな体験も新鮮に感じられる。だから、まずは五感を開いて自然の中で楽しいことをしようと提案したいですね。それから多様な人や世界と出合うこと。そして友達をつくる機会があるといいと思うんです。もう一つ。「ゲームをするだけでなくプログラムをつくってみよう」といった趣旨の発言をしたのはオバマ元米大統領ですが、その言葉通り「作り手になる体験」を何かしてみることを勧めたいと思います。
育児で重視 対話の時間を持って「本気で話す」
――高校生のお嬢さんがいらっしゃいます。ご自身の子育てで意識していることは。
中島 子どもは自分と別の人格。本気で話したときしか心を開いてくれないだろうと思っています。だから、人間対人間として向き合いたいときは、対話の時間を持って「人生とは」みたいなことも含め、「本気で話す」ことを意識しています。
娘と私は個性も違うし、親子ゆえの甘えもある。親としては時にハラハラする訳です。けれど、「自分で選び取った」と思えることの方が親に言われてやったことより、本人にとってよほど価値がある。
人生とは探究であり創造である。そして創造性の軸は1次元ではない。無限にあります。彼女が今後も自分らしく、個性を生かせる創造の軸を選び取りながら、自分の意志で生きていくことを期待しています。
(聞き手は佐々木玲子)