国内企業で近年、社員や顧客のウェルビーイング(心身の健康や幸福)向上を目指す動きが急速に広がっている。静岡県内の医療施設や介護施設などに給食を提供するウェルビーフードシステム(静岡市)は、約40年前の会社設立時から「ウェルビー(Well Be)」を社名に冠し、病気や高齢で身体の機能が衰えた人に食べる喜びをもたらしてきた。時代を先取りしてウェルビーイングを追求する地方の中堅企業を取材した。
飲み込む力が衰えても食べられる「ソフト食」
静岡市内を流れる安倍川の東岸沿いにある特別養護老人ホーム「厚生苑 清流の郷」。取材に訪れた2023年6月上旬のお昼の献立は、枝豆の混ぜご飯と天ぷらなど6品だった。要介護度が要介護5の牧野マサ(仮名、98)さんは、職員の介助を受けながらゆっくり食事をすませた。
食べていたのは同施設に食事を提供するウェルビーフードシステムが、通常の食事(以下、「常食」)に特殊な加工を施した「ウェルビーソフト食」だ。要介護度が高い人は食べ物を飲み込む嚥下(えんげ)機能が衰えていることが多く、食事の際に食べ物を喉につまらせて誤嚥(ごえん)性肺炎になるおそれがある。ソフト食は見た目や色合いなどは常食とさほど変わらないが、口に入れると溶けて飲み込みやすいように加工を施している。
清流の郷に長期入所している115人の平均年齢は85歳。入所から10年近く滞在する人もいるが、身体がかなり衰えた人が大半で入所からおおむね数年で天寿を全うする。一般的に亡くなる1週間ほど前から食事ができなくなるが、同施設では「ギリギリまで食事を出している。提供した日に亡くなることもある」(管理栄養士の鈴木聖美さん)。ウェルビーフードが提供する食事が人生で最後の食事となる。
清流の郷の現在の建物ができたのは2013年。その際、運営する社会福祉法人・静岡厚生会は従来施設の食堂の運営委託先をウェルビーフードに代えた。厨房での作業は食材の発注から調理、盛付、配膳とかなり複雑で多忙だ。専務理事・法人本部長の松田晃氏は「職員が集まらないことをいやというほど経験してきた。人が集まるかどうかで食事の質が変わる。委託先企業の職員が朝5時から夜8時までヒーヒーいいながら働くような環境を変えたかった」と理由を説明する。
効率性と安全性を追求した調理システム
ウェルビーフードが松田氏に提案したのは「クックチル」と呼ぶ給食の特殊な調理システムだ。加熱調理した食材をセ氏3度に急速冷却して保存し、介護・医療施設に運んで再び加熱して盛り付ける仕組みだ。急速冷却で細菌の増殖を防ぐと同時に、食材を事前に加工しておくことで施設の給食施設で働く職員の負担を減らせる。管理栄養士や調理師によって味が変わるといった積年の課題も解決できる。ウェルビーフードは14年、静岡市内に「セントラルキッチン静岡」を開設しクックチルを導入した。
施設で提供するおかずは、セントラルキッチンで食材を加工・保存してから持ち込むので、現場の調理室で食事の準備に携わる職員は従来より少なくてすむ。取材に訪れた日に調理室で働いていたのは、ウェルビーフードの現場責任者である長坂明美所長ら4人で、午前8時半から11時半までにデイサービスの利用者も含めて145人分の食事を手際よく準備した。入所者の年齢や認知症の度合いといった「状態に応じて食べ物の刻み具合を(常食からソフト食まで)4段階に分けて準備する」(長坂さん)作業はかなり煩雑だ。それでも「おかずから現場で作っていたら6人いてもバタバタしていたでしょう」(管理栄養士の鈴木さん)という。
セントラルキッチン静岡を訪れ、清流の郷で提供していた献立を再現してもらった(画像下)。上の写真は健常者向けの常食で、下がウェルビーソフト食だ。左下にある枝豆ごはんのソフト食は、枝豆をミキサーにかけた後、増粘剤を加えてペースト状に加工して冷蔵する。調理場で再び固め、枝豆の大きさにくりぬいてのせてある。仕込みに手間がかかるウェルビーソフト食は介護施設などの現場ですべて作るのは不可能だが、セントラルキッチン静岡ができたことで安定的に提供できるようになった。日々提供する食事なので、中央にある天ぷらのように形が複雑で現場で再現するのが難しいメニューもあるが、食器を含めて色合いは常食とほぼ同じにしてある。施設で介護度の異なる入所者が一緒に食事をする際、介護度の高い人でも劣等感を感じず、「隣の人と同じ物を食べている」と思えるように配慮しているからだ。