全タイトルを独占する藤井聡太「八冠」の誕生か、永瀬拓矢「名誉王座」(永世称号)の登場か――。第71期将棋王座戦五番勝負は、タイトルホルダーが初戦を制して幕開けした。現地で解説を担当した森内俊之九段(十八世名人の資格者)は「人工知能(AI)の研究成果が盤上で100%発揮されたスリリングな闘いだった」と振り返る。「超進化論 藤井聡太」(飛鳥新社)を著した森内九段に聞いた。
永瀬王座、AI研究で相手のアドバンテージ消す
――空前の「将棋八冠」制覇か、史上3人目の将棋名誉王座(中原誠十六世名人、羽生善治九段に続く)の資格獲得かを競う今期王座戦は、4連覇中の永瀬王座が初戦を制しました。現地でどうみましたか。
「両対局者のAI研究の深さ実感しましたが、両者の印象は微妙に異なります。後手番の永瀬王座は序盤を徹底的に研究し、藤井七冠が事前に想定しにくい戦型に持ち込みました。具体的には『4一玉』(22手目)で、普通は4二玉です。チェスや囲碁と同様に将棋にも先手番の利はあります。しかし、王座は巧みにそのアドバンテージを消し、互角の展開に持ち込みました」
「中盤では藤井七冠が5二角成(63手目)を決断し局面が大きく動きました。現地で研究していた多くのプロ棋士が予想せずAIだけが推奨し、先手の七冠が指しやすくなると評価しました。AIもまだ完全ではないので本当に正解かどうかは分かりません。しかし、七冠はこれまでの『プロ感覚』でなく『AI感覚』が身についていると思いました。一分将棋の終盤は微差で形勢が揺れ動いたものの、最後は永瀬王座らしい自陣飛車(124手目の5一飛)が出て先勝。長い王座戦の歴史の中でも記憶に残る熱戦でした」
――1992年生まれの永瀬王座は、α世代の藤井七冠(2002年生まれ)の10年先輩にあたります。
「永瀬王座の凄(すご)さは、時間の大部分を将棋の研究に費やしていることと考えています。10代や20代前半ならば可能で理解できるし、逆にそうでなければトップ棋士のレベルに到達することは難しいでしょう。しかし、王座はタイトルを取っても、ライフスタイルを変えず、現時点で最もAI研究に成熟している棋士の一人です。この王座戦シリーズで数多くの戦型を準備しているとみます」
失敗を恐れない藤井七冠の強さ
――AIが王座戦の「第3の主役」ですね。2010年代前半にトップ棋士がAIと公開対局で度々戦い、敗れると一転「友人」としてAIを将棋界は迎え入れました。当時危惧された「AIで失う職種」にはなりませんでした。他方、スター棋士だった升田幸三九段(実力制第四代名人)は約50年前の観戦記で「人間がコンピューターに負ける時代が来たら香車(直線にしか進めない)をひとつ後ろに引けるようルールを変えればよい」とジョークを飛ばしていました。
「升田先生のご提言も、現在のAIレベルはそれほど時間をかけずに対策を講じると思います(笑)。我々の世代は『いずれAIがプロ棋士に勝つ』と認識していました。10年代の進化のスピードから予想以上に早い展開でしたが。ビジネス社会は○か×の二択ではなく様々な選択肢が可能でしょう。しかし将棋では『最善かそうでないか』が非常に重要です。AI研究を取り入れるのに、さほど心理的な葛藤はなかったと思います」
「自分はチェスが趣味のひとつで、1990年代に当時の絶対的な世界チャンピオンが、米IBMのAIに敗北するのをリアルタイムで実見・経験しました。その後の欧州などのチェスプレーヤーがどうAIと対峙するか、AIに習熟した対戦相手とどう戦うかも見てきました。日本の将棋界は国際的なトレンドを抱合しつつ、現在の王座戦が行われています」
――藤井七冠には「神の手」と表現される手がたびたび出ます。
「確かに戦局を変える妙手は多いと思います。しかし、それは突然現れるのでは無く、その局面に至る前に素直で自然な応手を続け『神の手』と呼ばれるような一手を指せる場面に誘導できるところが七冠の強さのひとつです」
――新刊「超進化論 藤井聡太」では七冠の第1の強さとして「終盤力」を挙げています。
「終盤力は本人の才能・解読力が要求される、将棋というゲームの中で最も重要な要素です。100年前の木村義雄十四世名人から現在の藤井名人まで、この能力がライバルより劣っていた棋界の覇者はいません。七冠はプロデビューする前の小学生時代から、この能力が際立っていました」
――続いて「失敗を恐れない」ことも挙げていますね。
「プロ棋士は結果で評価されます。面白そうだけれどもリスクの大きい候補手は、見送ることが多いです。しかし、七冠はあえて踏み込み、たとえ失敗しても終盤力で挽回するケースが少なからず見られます」
先端技術で「一極集中」を脱却した将棋界
――森内・羽生両九段らの世代も含め将棋界の一流棋士は東京一極、または東阪二極集中が長く続きました。実際、九州出身の「天才少年」が親族と一緒に上京して修行し、タイトル戦に登場する棋士に大成したケースもありました。
「自分は小学生の時分から羽生九段や郷田九段(王位、王将など獲得)をはじめ、将来プロになる多くの子供たちと、将棋大会や奨励会の対局で切磋琢磨(せっさたくま)してきました。そこに入るべく青森から中学生で単身上京した仲間もいました」
――他方、同世代で棋史に残るイノベーション「藤井システム」を開発した藤井猛九段(元竜王)は「地方出身・在住の自分は、子供の頃から鍛え合った羽生世代には終盤経験で絶対かなわない。全く新しい戦法を編み出すほか生き残れない」が発想の原点だったといいます。藤井七冠は地方の愛知県瀬戸市の出身です。
「藤井七冠より先輩のミレニアム世代では、現九段の佐藤天彦元名人は福岡、糸谷哲郎元竜王は広島、菅井竜也元王位は岡山と、地元在住のまま強くなり名棋士の道を歩んでいます。AI以前のインターネット普及とネット対局が無ければ不可能だったでしょう。将棋界は日本社会の中でもいち早く大都市への情報、人材集中を脱却したと言えるかもしれません」
(聞き手は松本治人)