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太平洋戦争から学ぶ フェイクニュースへの対応 井上寿一・学習院大教授に聞く

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ロシアによるウクライナ侵攻は前線で一進一退の膠着状態が続き、このまま3年目に入りそうだ。パレスチナ自治区ガザではイスラエル軍が戦闘を再開し、長期化が避けられそうにない。民間人の犠牲に対する懸念が増す一方、戦争の当事者によるフェイクニュースが飛び交う「プロパガンダ戦」の様相を見せている。戦争とフェイクニュースに関しては日本にも苦い経験がある。82年前の1941年12月に真珠湾攻撃で始まった太平洋戦争(〜45年)は日米双方の情報戦でもあった。当初は正確な情報を国民に伝えていた日本政府と軍部はやがて自らに有利なフェイクニュースを量産していった。「戦争と噓」(ワニブックス)の著者である井上寿一・学習院大教授に聞いた。

プロパガンダ戦の経験に乏しかった戦前の日本

――ウクライナとロシア、イスラエルとハマスはそれぞれ自らの正義と相手側の残虐行為を国際社会に主張しています。日本国内でもどちらか一方だけの情報を信じ、他方を非難する人もいます。

「プロパガンダは噓や虚偽とは限らず、パブリック・ディプロマシー(広報外交)とは紙一重です。昨年、ウクライナのゼレンスキー大統領が自国民にロシアへの投降を呼びかける動画が世界を駆け巡りましたが、人工知能(AI)を使ったディープフェイクでした。他方、フェイクニュースを宣伝する側が不正義とも限りません。湾岸戦争(1991年)時に報道された原油まみれの水鳥の写真で、イラクは環境破壊の元凶として国際世論の非難を浴びました。しかし、実際にはペルシャ湾に石油が流出したのは米軍の攻撃が原因でした」

――近著では日本の現代史をプロパガンダやフェイクニュースの視点から分析しています。

「『戦争に噓は付きもの』とは言うものの、転機となったのは第1次世界大戦(1914〜18年)です。これからの戦争が、戦場の駆け引きだけでなく国民を総動員し、生産力なども含めた『総力戦』となることがはっきりしました。自国の世論を戦意高揚で統一し、相手国民に訴える必要も出てきました。ただ、主戦場が欧州だったため、日本は十分な情報戦や広報外交の経験を積めませんでした」

「日中戦争(37〜45年)は日本にとって本格的なプロパガンダ戦争でした。しかし、初戦で勝利したのは中国です。日本軍が非戦闘員や文化施設を攻撃・日本軍の弱さを宣伝・中国軍の強さを誇張――が中国側の3大ポイントでした。特に米ライフ誌に、破壊された上海南駅における悲惨な赤ん坊の写真が掲載され、米国の世論が大きく中国側に傾いたりしました。これがトリック写真ではないかという議論は現在でも決着していません。日本も国内で『思想戦展覧会』を開催するなどして対抗しましたが、日本側の展示物が訴求力に欠けていたことは否めません」

正確な情報伝え戦争協力を獲得

――太平洋戦争で日本軍が連発した「大本営発表」は現在でもフェイクニュースの代名詞として使われています。

「真珠湾攻撃に成功した当日に、首相官邸の情報局は『政府が全責任を負い、率直に、正確に申し上げる』と放送し、政府への信頼を呼びかけています。陸海軍合同の大本営も当初は正直に戦果を伝えていました。国民に正確な情報を伝えることで戦争への協力を得ようとしていたのです」

――しかし、開戦翌年からはフェイクニュースが増えてきます。

「42年6月のミッドウェー海戦で海軍は空母4隻、飛行機約300機の損失を、空母1隻損失・1隻大破、未帰還35機にすり替え、軍艦行進曲を流しながら発表しました。ガダルカナル戦の大敗は『転進』とされました。大東亜戦争と呼び、戦争の大義も強調されるようになります。あからさまなフェイクニュースというより空疎な大言壮語が乱発されました」

「44年のレイテ沖海戦に従軍した大岡昇平(戦後、作家)は、味方の発表より米軍側の情報を信用して敗北を悟ったといいます。学生だった山田風太郎(同)は『政府なお国民を欺かんとするや』と日記で憤っています。プロパガンダと情報統制にもかかわらず、多くの国民が戦局の不利を知っていました。他方、45年に入ると米軍は日本に伝単(宣伝ビラ)を投下し、正確に空襲予定の都市を伝え、かつ実行しました」

「東条英機は盛岡に隠れている」

――政府側からのフエイクニュースに加え、国民相互間でも流言飛語、デマなどが増えてきます。

「『社会が危機に直面しその秩序が既に幾分か動揺している時』に流言飛語が広がります。日本には流言飛語罪、風説流布罪がありましたが、より重い『造言飛語罪』も加わりました。当初は軍人が対象だったのが一般人にも適用されるようになったのです。ただ、実際の量刑などは、まちまちでした。イデオロギー的な反軍・反戦の動機以外にも戦場の兵士への同情からフェイクニュースが生まれるケースもありました。『フィリピン島では裸のまま竹やりで戦っている』などです」

「東条英機首相(在任41〜44年)が対象のフェイクニュースは少なくありません。戦争末期には『米軍捕虜の話では東条さんがルーズベルトと握手した』と停戦協定中だとのデマが流れます。敗戦後は満州(中国東北部)へ逃げたが殺された、盛岡に隠れている、精神錯乱を装っている――などです。敗戦後の占領当局もプロパガンダ情報を流しましたが、国民は受容しました。戦時中の日本政府、軍のフェイクニュースよりましだったからです」

フェイクを見破る歴史的想像力の養成を

――戦争を巡るフェイクニュースに惑わされないためのポイントは何でしょうか。

「高度にコミュニケーション技術が発達した現在では容易ではありません。フェイクニュースにファクトチェックで対抗するにしても、ファクトチェック自体にフェイクニュースが潜んでいる可能性もあるからです。しかし、見たいものしか見ないといった傾向がある一方で、国民が長くフェイクニュースに幻惑されることは、ありません。正確な事実に基づかない限り、政府の期待通りに動くことはないのです」

「現代の我々がフェイクニュースを判断するには、戦争に訴えてでもその国が目標達成を国際的に正当化できるかどうかを判断できる、歴史的な想像力を養うことが重要です。さらに当事国の政府にとっても、大義が無ければ国民から利害損得を超えた協力は受けられないでしょう」

――組織としての大義が備わっていないと構成メンバーから惜しみないヤル気を引き出せないのは企業社会でも共通しそうです。

「以前、授業のなかで、ある企業の経営者に学生がインタビューさせていただく機会がありました。学生側からの『コンプライアンス経営をどう考えるか』との質問に対して『最近の学生からはこうした問いが出るのか』と驚きながら、経営者は利益を追求するのが第一であるが、コンプライアンスは企業イメージやブランド力の向上となって企業の利益に貢献する、という趣旨の回答があったことを記憶しています」

(聞き手は松本治人)

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