クラフトビールを日本に根づかせた立役者として「よなよなエール」の名前を挙げても構わないだろう。この看板商品で知られるヤッホーブルーイング(長野県軽井沢町)は創業からほぼ四半世紀で日本のクラフトビール最大手に成長した。黄色い月のマークが印象的な「よなよなエール」の缶には、今やコンビニエンスストア大手のビール売り場でもお目にかかれる。なぜ「よなよなエール」は日本一ポピュラーなクラフトビールになれたのか。創業から25年の軌跡を追った。
「よなよなエール」の缶には、花札のような図柄で黄色く月が描かれている。しかし、満月、半月、三日月のどれでもない、やや中途半端な欠け具合の月だ。「特別な日ではない、ごく普通の日の月。特別な晩だけでなく、毎晩(=よなよな)のようにエールビールを楽しんでほしいという気持ちが込められている」と、よなよな未来課の稲垣聡氏は明かす。最初から缶入りを選んだのも、軽くて扱いやすいうえ、自宅で飲んだ後に捨てるのが楽だから。輸送に向く缶は「よなよなエール」を全国に広めるのにも役立った。
1994年の酒税法改正をきっかけに、地ビール醸造が実質的に解禁されたのを受けて、ヤッホーは97年に創業した。創業者は星野リゾート(長野県軽井沢町)の星野佳路代表。米国に留学した際、クラフトビールの味に魅せられ、日本での事業化に動いた。当時の日本では大手ビールメーカーが造るラガー(主にピルスナー)ビールがほとんどだったが、星野氏が選んだのは、米国で飲んだフルーティーな香りの「アメリカン・ペールエール」タイプだった。だから、「よなよなエール」もこのタイプで、ヤッホーの本社も軽井沢町にある。
地ビールブームを追い風に、ヤッホーは創業当初から業績を伸ばしていった。風変わりな社名は、軽井沢の山の中から「おいしいビールができましたよ」と呼び掛けるイメージから名付けられたという。当時の地ビールブランドには地元の地名を名乗るところが少なくなかったが、ヤッホーはあえて社名にも商品名にも「軽井沢」をうたわなかった。米国流ペールエールの再現を目指し、地場の特産品にとどまらない全国的広がりを早くから意図した星野氏の意気込みがうかがえる。
しかし、各地で盛り上がった地ビールのブームは長続きせず、2000年を過ぎたあたりからヤッホーの業績も落ち込んだ。在庫が積み上がり、8年連続の赤字で倒産の手前まで追い込まれたが、「楽天市場のネット通販に窮地を救われた」(稲垣氏)。後に星野氏から経営トップを受け継いだ井手直行社長は、楽天が主催していたネットショップの講習を自ら受けて、ノウハウを習得した。それまでは購入チャネルを見付けにくかった「よなよなエール」だが、全国どこからでも注文できるネットショップが飲み手の裾野を広げてくれた。