最前線のビジネスパーソンは毎日忙しい。M&A(合併・買収)の判断から部下のメンタルケアまで、大小問わず案件が降りかかってくる。結論を急(せ)きたてられる中で、思考のエラーは誰にでも起こりうるだろう。関西大学の植原亮・総合情報学部教授は、どんな忙しさの中にあっても、自分の思いつきをいったん否定することを提唱する。「急がば回れ、回って正解へ」を実践する遅考術のススメだ。
■認知的なデカップリング技能が重要
正解は「3つ子(以上)」。引っかけ問題ではなく遅考術に必要な3ステップが試されていると植原教授は説く。①真っ先に浮かんだ仮説(この場合は双子)をまず否定する②条件を再三確認する(兄弟の数は未定)③最善の結論に達する――だ。植原教授は「自分の考えは必ずしも現実に直結しているのではないと、認知的なデカップリングの技能が求められる」と指摘する。
認知心理学や社会心理学の成果を応用し、経済環境などに反映させようとしたのが行動心理学だ。一方で、個々人の考え方に落とし込んだのが遅考術だと植原氏は説明する。人間の思考には感情を含んだ直観モードと熟慮モードの2つがあり、状況次第で使い分けることが重要だと説いている。
■人物評価に入り込みやすい「代表性バイアス」
2021年秋、植原氏は関西大の「次世代者経営塾」で、老舗企業の2、3代目経営者ら約30人に遅考術の連続セミナーを開催した。Q&A式の講義を通じて企業経営の現場で起こりやすい判断ミスの特徴が浮かび上がってきたという。
第1は「代表性バイアス」だ。頭に思い浮かびやすいものほど、その数や起こりやすさを大きく見積もってしまうことを指す。一例として100円玉のコイントスを考えてみる。表を上にして10回放った場合と、表裏が5回ずつの場合では、前者の方が表の出る確率の方が大きそうに思える。「しかし実際は同じ確率だ。初めての取引相手をどう評価するかなどの場面で代表性バイアスが入りやすい」と植原氏。
第2は「利用可能性バイアス」。記憶から呼び出すのが容易なものほど正しいと思いがちな点だ。植原氏は「業務上の評価などを査定するときなどに起こりやすい」と指摘する。例えば、あるプロジェクトチームのメンバー全員に、自分が全体で何%の貢献をしたかをそれぞれ申告させると、合計が100%を超えることが極めて多いという。「自分の貢献度だけでなく、同僚の評価も含むから、2重の判断が必要になる」と植原氏。ただ、100%超えの結果を告知した後の2度目の申告では数値は減少する。
第3は「基礎比率の無視」。血液型がA型の購入者の4割、B型の2割に豪華なプレゼントをするという新製品の広告があったとする。もしあなたがA型ならば、プレゼントを手に入れる可能性が高いと思って製品を購入するだろうか。 実は日本人の血液型の割合に沿っただけで、とりわけ有利なわけではない。
■ジレンマに陥った時の3つの対処方法
A案でもB案でも思わしくないジレンマに陥った時、遅考術を身に付けていれば役に立つ。植原氏は3つの対処法を提示する。「最もオススメなのは、二者択一しか選択肢がないという前提をまず疑い、第3の道を探してみることだ」と指摘する。実際のビジネス交渉では、相手が他の選択肢があることを故意にぼかして決断を迫ることもありそうだ。「論理学で『偽りの二分法』と呼ぶ手口で注意が必要」と植原氏は語る。
第2の対処法は、望ましくない結果だけは避けるようにあらかじめ自分の行動に制限を課すように手を打っておくことという。植原氏は「『自己束縛』や『プレコミットメント』といったセルフコントロールの方法が研究されている」と話す。身近なケースでは、衝動買いをしないよう必要なお金しか財布に入れない、アルコールを摂取したら気分が悪くなるような薬を飲んでおく――などが当てはまる。
第3の方法は「選択そのものをやめることだ」(植原氏)。現実的な手段としては有効だろう。例えば、植原氏はトートロジー(同語反復)の活用を挙げる。同じ事を繰り返し述べているだけで誤りにはなり得ない、一方で情報量は増えない主張だ。ジリ貧を避けようとして、より大きな損失を被るなどのミスを防ぐことができそうだ。
では市場の急激な変化などで即断を求められる局面ではどう対応すべきか。植原氏は「やはり最初に思いついた考えからいったん離れることを勧めたい」と話す。ジャンルは違うが、将棋の内藤国雄九段の事例がある。内藤九段は現役当時、テレビ対局など持ち時間の短い勝負(1手30秒)では最初に浮かんだ手を捨て2番目に思いついた手段の検討から始めていたという。「2番目」に確信が持てないときは何も考えずに最初の手を指したそうだ。植原氏は「遅考術の実践的な方法として有効だ」と話す。
(松本治人)