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王座戦が映した将棋AIの最先端 極限の心理が決め手 森内俊之・将棋棋士九段(十八世名人)

AI 競争戦略 将棋

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将棋王座戦を制し藤井聡太「八冠」が誕生して1カ月。その余韻が覚めやらぬ中、続く竜王戦七番勝負(藤井八冠対伊藤匠七段戦)でも八冠が3連勝とタイトル防衛に王手をかけている。王座戦第1局を現地で研究し竜王戦第3局の立会人も務めた森内俊之九段(十八世名人)は「王座戦はAI(人工知能)による技術革新を象徴する内容だった。将棋界は新たなステージに入った」と分析する。森内九段に寄稿してもらった。

「人間をやめないと…」 常識上回る指し回し

2023年10月11日、第71期王座戦第4局で挑戦者の藤井聡太七冠が永瀬拓矢王座に勝利を収め、将棋界の八大タイトル全てを同時に獲得する八冠を達成した。藤井八冠は16年のプロデビュー以来、順調すぎるほどに実績を積み重ね、今回の偉業達成となったわけだが、本シリーズでは過去に勝利を収めてきたタイトル戦ではなかった逆境に立たされる場面も見られ、非常に厳しい五番勝負だったと思う。

一方、永瀬王座はタイトル戦前のインタビューで「人間だと藤井さんには勝てるとは思えない。人間をやめないと無理ですよ」と強い意欲を感じさせる発言で注目を集めた。実際にシリーズが始まると、今までの常識を上回る指し回しを披露した。

第1局では、振り駒で分の悪い後手番となった永瀬王座が、序盤の細かい工夫から早い段階で互角に戻すことに成功し、中終盤の競り合いも制して先勝した。第2局は、中盤以降、微妙に形勢が揺れ動く激戦となり、永瀬王座が抜け出した場面もあったが、最後は入玉寸前の永瀬玉を捕まえ、藤井七冠が1勝1敗のタイに戻した。

第3局では、永瀬王座が意表の作戦を採用。お互いに指し方が難しい将棋となったが、夜戦に入る頃には、はっきり永瀬王座がペースをつかんだ。ところが、最後はうまい切り返しを決めた藤井七冠が逆転勝利し、2勝1敗とリードすることになる。

終盤で中継画面に出ていたAIの評価値が藤井七冠5%―永瀬王座95%となっていた場面があったが、実はこの局面は複雑な計算が必要で、持ち時間が切迫した永瀬王座にとっては数値ほどの勝ちやすさはなかったのである。

そして八冠制覇のかかった第4局、流れが悪いのではないかと見られていた永瀬王座だったが、渾身(こんしん)の研究手順により、消費時間わずか5分で圧倒的に優位に立つ。

藤井七冠は「相手の土俵」での戦いを避けないので、相手の研究手順に誘導されるケースもあるが、独自の深い研究と臨機応変な対応で、序盤に不利になることはほとんどない。ところが本局では、想定外の展開になったのか、早い段階から藤井七冠の長考が目立った。思い切って相手の仕掛けに対し最強の応手を選択したが、すっぽりと永瀬王座の用意した手順に入りこんでしまったのである。

「この形勢差を追いつける」 藤井八冠の底力に感嘆

形勢はかなり苦しそうで、残り時間も大差をつけられ、私には藤井七冠がこの将棋を接戦に持ち込むことは難しいように思えた。

その後、良い選択肢がたくさんありそうな局面で永瀬王座が大長考に入る。普段の永瀬王座はこうした場面で割とテンポよく指す印象があるので、藤井七冠と対戦することへの特別な意識のようなものがあるのかな、と感じさせられた。

中盤戦では形勢の差は広がらず、いつの間にか局面は混沌とした状態に。本当にこの将棋を追いついてしまうのか、と藤井七冠の底力に感嘆した。両者の持ち時間が切迫した状態になってからは、どちらに転んでいてもおかしくなかったと思う。最終盤、危機を脱し勝勢となったのは永瀬王座だった。

ところが、平常心であれば一目で発見できる決め手を逃してしまい、藤井八冠が誕生することとなった。極限状態での勝負は実に恐ろしい。私も大舞台で、終盤のミスで逆転負けを喫したケースは数多くあるが、今回の永瀬王座の無念さは察するにあまりある。苦しい将棋を勝ちに結び付け、タイトルを奪取した藤井七冠は見事だったが、同時に永瀬王座の戦いぶりが印象に残ったシリーズとなった。

今シリーズを振り返ってみると、現代将棋の最先端の戦い方が随所で見られ、ここ10年程の将棋AIによるプロ棋界の技術革新を象徴するような内容だった。

「最後にミスした方が負ける」戦いは過去のものに

以前はトップレベルの対局であっても、最後にミスをした方が負けるという展開がよくあったのだが、藤井八冠がタイトル戦に出場するようになってからは、少しのリードを得てその後ノーミスで押し切るという内容の将棋が増えてきた。序盤戦の戦い方がシビアになってきているのである。

「序盤研究の鬼」と言われる永瀬王座は、王座戦に向けて特に力を入れていたことだろう。序盤研究に定評のある藤井七冠からリードを奪うために、藤井七冠が普段指している将棋とは微妙に違う将棋に誘導するべく、入念な準備を重ねていたはずだ。

相手の意表を突くためには、自分自身経験の少ない将棋を指すことになり、膨大な知識の習得が必要となる。それを実行し、機能させるところまで研究するのだから頭が下がる。今回は結果として藤井七冠のタイトル奪取となったが、永瀬王座が防衛していてもおかしくない内容だった。

「AIを使って最善手を学んで向上」派がやや優位

今も昔も、終盤の力が大切なことに変わりはないが、現在の環境では、序盤から中盤の研究に時間をかけて、研さんを重ねることがいかに効果的かということを、永瀬王座の戦い方を見て改めて感じさせられた。

現在のプロ棋界では、AIを使って最善手を学んで向上していこうという方向性と、AIを使った分析は部分的にとどめて対局では個性を発揮していこうという方向性があるが、今期の王座戦や、現在進行中の竜王戦七番勝負の対局をみる限り、大舞台では、前者の選択している棋士がやや優位に立っているようにみえる。

AIの導入で大きく様相の変わった将棋界、藤井八冠誕生は一つの大きな節目になるが、これから先はAIと共に育った若い棋士の台頭も目覚ましくなってゆくだろう。

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