アトツギの作法

農業未経験の元SEに託す 熊谷市の農地10ヘクタール どうする事業承継 アトツギの作法 専業農家の井田文雄氏(埼玉県熊谷市)

地方創生 少子高齢化 事業承継

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事業承継は農業でも深刻な課題となっている。埼玉県熊谷市の井田文雄氏(76)は、先祖代々引き継いできた土地で専業農家を営んできた。後継者難に直面したが、システムエンジニア(SE)の仕事を辞めて就農を志す高橋秀征氏(52)と出会い、県や金融機関の支援を得ながら2023年3月に事業承継を果たした。

「昔から農業が盛んな地域」

井田氏の農地は群馬県との県境になっている利根川に近い、熊谷市北部の旧妻沼町地域にある。一帯は水田が広がり、麦との二毛作が盛んな地域だ。井田氏は「南には荒川も流れる扇状地にあり、土地が肥沃で、昔から農業が盛んな地域だった」と話す。

井田氏は先祖代々の農地約4ヘクタールで米と麦を栽培してきた。夫人は別の仕事をしており、農作業は井田氏1人で担っている。このため苗床への種まきや苗の植え付けの作業負担を減らしたり、収穫物を1人で運搬しやすくしたりする省力化機器を自作するなど工夫してきた。営農組合の組合長として、地域の農家のとりまとめ役も務めた。

10年ほど前から「後継者がいないので農家をやめる。遊休農地にならないよう、耕作を続けてもらえないか」という申し出が周囲の農家から寄せられるようになった。「地域で遊休農地を増やしてはならない」という使命感もあり、借地して栽培を引き受けた。耕作面積は約10ヘクタールに膨らんだが、省力化機器を駆使して対応した。

しかし、自らも70歳を過ぎた頃から後継者について悩むようになった。3人の実子は会社勤めや士業で、農業を継ぐ意志はなかった。18年に近隣で同規模の農地を有する米麦農家が就農希望者に事業を承継したと聞いた。「農家でも第三者承継という方法があるのか」と興味を持ち、熊谷市内にある県の農業支援機関「埼玉県大里農林振興センター」を訪れて第三者承継の事例に関する情報提供を依頼した。

重い初期投資 後継者が見つかりにくく

全国の事例についても聞いた結果、米麦栽培農家だとトラクターやコンバインといった農機への初期投資がかさむことが、後継者を見つけにくい原因だとわかった。「農業経験者に継いでもらおうとしても、(経験者は)費用がかかる米麦農家の事情がわかっているから承継は難しい」。井田氏は解決策を見いだすことができなかった。

井田氏が振興センターに相談してから約1年後の19年9月、さいたま市在住の高橋秀征氏は井田氏の農地の近くにある、自らの義父母の農地で作業を手伝っていた。高橋氏はSEとして約30年間、自動車整備工場向けパッケージソフトを開発してきた。義父母の家には、以前から休日に子供を連れてよく遊びに行っていた。

勤め先がM&A(合併・買収)で別会社の傘下に入り、職場環境が変わった。義父母が後継者難に悩んでいることも知っており「今の仕事は今後も長く続けられるのだろうか。農業も選択肢になるのではないか」と考えて思い切って退職。就農を目指し、義父母の畑で農作業の基本を教わっていた。

高橋氏の義父と井田氏は幼なじみでお互いをよく知っている。高橋氏が1人で農作業をしているところを通りかかった井田氏が見かけ、「知らない人だが、どこの方だろう」と思った。数日後、井田氏が高橋氏の義父母に尋ねると、高橋氏が脱サラして就農を希望していると聞き、「どこまでやる気があるのか、本人にぜひ話を聞きたい」と申し入れた。農業未経験者の高橋氏なら「先入観なく承継に関心を示すのではないか」との期待もあった。

義父母から井田氏の申し入れを聞いた高橋氏は「就農を考え始めてわずかな期間で願ってもない話をいただいた」と興味を持った。初対面から1カ月後の19年10月、高橋氏の義父母宅で、井田氏を交えた4者が対面した。「10ヘクタールぐらいの栽培面積があるが、高橋さんは私の後を継いで農業をやる気はありますか」と尋ねる井田氏に、高橋氏は「やりたいです。いろいろ教えてもらいたい」と快諾した。

県の農業支援機関や政策金融公庫を活用

2人はその足で振興センターを訪ね、井田氏が「探していた第三者の承継候補が見つかりました」と報告。2人とも「承継をどう進めればいいか、手続きが全くわからなかった」こともあり、まず頼りにしたのが同センターだった。

センターから新規就農者の研修のための支援金を月最大10万円交付する国の制度を利用するよう勧められ、助成を受けられることになった。高橋氏が国や自治体などから支援を受けるために必要な認定新規就農者になる手続きも進めるよう助言を受けた。

高橋氏へのセンターの直接の支援としては、普及指導員による栽培管理技術の指導があった。週に2回程度、井田氏の農地で高橋氏に種まきから収穫にかけての時期の見極めや、病害虫に関する知識などを細かく教えてもらえる。「自分で調べても半分ぐらいはわからない。指導員は現地で的確に対処方法を教えてくれるのでよくわかり、意義が大きかった」(高橋氏)

農業も一般企業の事業承継と同様、まとまった資金を準備する必要がある。トラクター、コンバインなどを譲り受けるための設備資金が必要なうえ、最初に植える種苗の購入代や借地代がかかる。退職金などの自己資金だけではまかなえないとみて、高橋氏は日本政策金融公庫の「青年等就農資金」の利用を決めた。「無利子、実質無担保で最初の3年は返済が猶予されるのは大きかった」と話す。

井田氏は「自分の知見をすべて伝えておきたい」と、農作業の経験がほとんどなかった高橋氏に念入りに農機具の使い方などを教え込んだ。農機具を使う作業をしやすい広い農地を選び、「狭い農地だと1日で終わる作業を(広い農地で)10日ぐらいかけて繰り返し行う」(井田氏)ことでコツが身につくようにした。自動車とは違う視野の狭さなどに最初は戸惑った高橋氏だったが「面積が広いところで繰り返し作業することで慣れていった」という。

省力化機器のノウハウも引き継ぎ

「今後の農業は省力化しなければやっていけない」と考える井田氏は、省力化機器を活用した効率的な農作業を引き継ぐことも徹底した。手作業を行おうとする高橋氏を井田氏が引き留め「手作業はダメだ。どうすればいいか手を止めて考え、工夫してみなさい」と諭すこともあった。

最初の出会いから約3年半、米作に向けた準備が始まるのを前にした23年3月、井田氏は高橋氏に事業を引き継いだ。耕作地10ヘクタールはすべて借地にした。井田氏は「高橋氏に研修中、十分に給料を払えたわけではない。本来の金額で農機具を譲渡しては、高橋さんがとても払えない」と自作の省力化機器も含め格安で譲渡した。

高橋氏は「まとまった面積を引き継げたのは、収穫、収入の面で大きい。一から自分で用意するとかなりのお金がかかる農機具を譲っていただけたのもありがたかった」と話す。義父母の農地もいずれ引き継ぐことにも意欲を見せている。

井田氏は「高橋さんに来てもらったので継続できる」と話す一方で、「周辺には20ヘクタールぐらい耕作しながらも、継続が難しくなっている人がいる」と表情を曇らす。40ヘクタール以上が遊休農地になってしまった実態も聞いている。

農業の行方に危機感を持ち、周辺の農地の栽培を引き受けてきた井田氏にとって「第三者による農業の承継がもっと広がってほしい」というのが切なる願いだ。

(一丸忠靖)

「どうする事業承継 アトツギの作法」は中小企業診断士の資格を持つベテランのライターが、事業承継に取り組んだ中小・中堅企業の実例をリポートします。随時掲載。

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