「Chat(チャット)GPT」のような対話型AI(人工知能)がリポート作成やストーリー構想を代行してくれるなど、昨今のデジタル化の加速はすさまじい。テクノロジーが人間と同等に近い能力を持つようになるという期待と不安は未体験の領域に突入した。
本書『アナロジア AIの次に来るもの』(橋本大也訳、服部桂監訳)は、デジタル台頭の歴史を、アメリカ先住民の戦いからアポロ計画の月面着陸まで300年余りの壮大なスケールで、丁寧にひもといた1冊。小説のような描写に引き込まれる一方で、提起される未来図は「デジタルの次にはまたアナログの時代が来る」という意外なものだ。
著者のジョージ・ダイソン氏は米国の科学史家。16歳で家出して北米先住民のカヌー「バイダルカ」復元に熱中する。父であり世界的な物理学者のフリーマン・ダイソン、原爆開発で知られるロバート・オッペンハイマーなどそうそうたる知識人の登場も本書の魅力だ。
歴史は繰り返す
著者は人間・自然・マシン(機械)の絡み合いに注目して4つの時代区分を見立てている。第1は工業化以前の時代で、人間は自分の手で作れる道具しか持たない小さな存在だ。第2の時代は工業化が進み、機械が導入され、自然を支配しはじめる。第3のデジタル化の時代には、まるで生物のように機械が他の機械を再生できるようになり、自然を圧倒していく。ここが現在の社会だ。
これから訪れるのは第4の時代。ネットワーク機械が増え、情報が増殖した高度なデジタル社会は、むしろアナログな自然の姿に近くなり、我々人間は第1の時代に回帰する、と著者は見る。だからこそ歴史を振り返ることが必要であり、著者がアパッチ族(北米に居住していたアメリカ先住民)の米政府への抵抗といった遠い過去の話を取り上げる理由もここにある。
デジタルは新たな大自然
「デジタルが自然のような姿になる」は、もう少し説明が必要だろう。デジタルな世界は1,2,3……という整数でできており、どこまで拡大しても論理的に言えば数え切ることができる。
一方でアナログは数え切れない。「アナロジア」とはアナログの語源となったギリシャ語で、離散的な(0か1かの飛び飛びな)デジタルに対して比例的で連続的なものを意味する。著者はデジタルを砂浜の砂粒にたとえ「数えられる無限」、アナログを砂浜に引かれる線(点の連なり)にたとえて「数えられない無限」と言っている。
自然界は「数えられない無限」の世界だ。だが、ここで逆転劇が起こってくる。現在のデジタル世界のデータ量は途方もなく拡張されており、数えられるはずなのに、数え切れない。つまりテクノロジーの世界が自然の性質に近くなっているのだ。
ようやく、高度なデジタルを使う現代人と、いかだに乗って海を漂う古代人との類似性がおぼろげながら見えてくる。デジタルのジャングルを制御しようとするのは無駄なことで、いっそ大自然にカヌーで飛び込むようなアナログ感覚で大冒険に繰り出そう、というのが著者のメッセージだろうか。
情報工場エディター。元官僚で、現在は官公庁向けコンサルタントとして働く傍ら、11万人超のビジネスパーソンをユーザーに持つ書籍ダイジェストサービス「SERENDIP」のエディターとしても活動。大阪府出身。