「能力は遺伝か環境か」という議論を聞いたり、実際に話したりしたことがあるだろう。子どもの教育や部下の育成、自身の得意分野を見極めるためにも重要なテーマだが、専門的な知識を得る機会は多くない。
本書『能力はどのように遺伝するのか』は、そのような議論を深める際にうってつけの一冊だ。能力において遺伝がどのように影響するかを、行動遺伝学の知見から明らかにしている。著者の安藤寿康氏は行動遺伝学や教育心理学の専門家で、慶應義塾大学文学部名誉教授。
「心」も遺伝的
本書がまず強調するのが、「心はすべて遺伝的である」という大原則である。「心」というと捉えづらいが、遺伝学では心の働きを「心理的形質」という。勤勉性や外向性といったパーソナリティー、そして知能などがこれに含まれる。そして、一卵性双生児と二卵性双生児の類似性を比較する実験により、心理的形質の個人差の30〜80%は遺伝の影響で説明できることが分かっている。
つまり、やたら神経質だったり、勤勉だったりするのは、赤ちゃんのときから本人が持っている性向なのだ。心という内面的で、自由意思に基づきそうな部分が、遺伝の影響を受けているとは興味深い。著者は本人の意思で行われる「努力」についても、遺伝的な側面があることを示唆している。
一方で、遺伝的でなく、学べば獲得されるものとしては「知識」がある。語彙の知識、ピアノを弾くための知識など、知識をうまく使えている時に「能力がある」と見なされる。知識すなわち能力は、学習する環境が与えられれば獲得できるが、学習で使われるさまざまな認知的機能(短期記憶など)には遺伝的な影響がある。つまり、能力は「遺伝か環境か」と二分されるものではなく、両者の影響が組み合わさって発揮されることがわかってくる。
共感力が写真の才に
では「才能」とは何だろうか。著者の言を借りれば、「他者に価値があると評価された能力」のことだ。
本書は事実を元にした、ある事例を紹介する。他人の表情やしぐさからその人の状況を思い描き、共感できる能力を持つ人がいた。本人は「あたりまえの感覚」として目立った行動に移すでもなく、日常を過ごしていた。しかし、ふとしたきっかけでカメラを手にし、その能力が写真表現に生かされた。その写真は他者の心を動かし、やがて社会的に評価された。この時、その人の能力は「才能」と見なされる。
人の能力に関して、遺伝の影響は小さくない。だがその科学的事実は「能力は生まれつき決められている」ことを意味しない。個々人の特性や個性、持って生まれた「心のクセ」が、他でもない自分らしさであり才能の芽だと、本書は伝えているのだ。
大谷翔平や藤井聡太のような偉大な才能を称賛するのもいい。同時に、多くの人が、多様な特性を才能として評価する視点を持つことも大切なのだろう。本書の知見は、生き生きとした人生、社会のあり方を考えるうえで重要なヒントを与えてくれる。
情報工場エディター。機械部品の専門商社を経て、仲間と起業。東京農業活性化ベンチャーを掲げ、小売店・飲食店の経営、青果卸売などに取り組む。徳島県出身。