松下幸之助やスティーブ・ジョブズのような一流のビジネスパーソンが日本庭園を愛好したことはよく知られている。静謐(せいひつ)な空気の中で新たなビジネスのアイデアが浮かぶのかもしれない。
日本庭園の雰囲気や魅力ごと、デジタル化し記録・保存(アーカイブ)しようという試みが「庭園アーカイヴ・プロジェクト」だ。本書『日本庭園をめぐる』は、日本庭園の研究者である著者が、山口情報芸術センター(YCAM)のメンバーとともに2019年から始めたこの試みの一部始終を報告する。庭園の本質、オリジナル(本物)の体験とデジタル・アーカイブとの相互作用などにも考察が加えられている。
著者の原瑠璃彦氏は静岡大学人文社会科学部・地域創造学環専任講師。
変化する庭に注目
プロジェクトの対象は常栄寺(山口市)と無鄰菴(京都市)、龍源院(京都市)にある3つの庭園だ。本書は3次元(3D)スキャンや定点撮影、DNA解析などの手段を用いて様々なデータを集め、ウェブサイト上に3D庭園を表現していく過程を明かす。
特に著者がこだわったのは「庭の変化」である。庭園の石や樹木、砂は動かないが、日当たりや季節が変われば影が差し、木の葉や雪が積もるなどして趣が変わる。鳥や虫が飛来し、風が吹けば庭のたたずまいは変化する。こうした繊細で動的な部分こそ保存すべきだと考えたのだ。
そこで庭にカメラを置き、数時間にわたって撮影・録音した。ある7月の日の出には、徐々に明るくなって鳥のさえずりが聞こえてくる経過、ある冬の夕刻には真っ白に染まった庭の様子と雪がどさっと滑り落ちる音などが収録できたという。著者はこの映像を庭園という舞台で繰り広げられる「上演」のようだと語っている。
園内の植物の葉や池の水をDNA解析し、そこに生息する膨大な数の生物をリストアップした。人間が庭を歩いても水中の微生物にまで思いを巡らすことはあまりないが、こうしたデータがあると庭園の生態系に意識が向き、庭の見方が変わってくるのが面白い。
ぼんやりと過ごせるアーカイブ
順調にデータを収集していた著者がふと、庭園の重要な特徴に気づくところが、このプロジェクトの山場だろう。庭園では人は特別な目的もなく、ぼんやりと過ごすことが多い。アーカイブも同様に「何事にも使われない」のが理想と考えたのだ。
そこでアーカイブに「自由回遊」モードを設けた。庭の各要素をランダムに巡り、情報を表示していくため、ユーザーは身を任せてぼんやり眺めればいい。大量のデータが保存されているからといって、情報を受け取らないといけないわけではない。通常とは異なるこうした「ゆるい」視点が、庭園アーカイブの無二の魅力のようだ。
その他の仕掛けはウェブサイト「Incomplete Niwa Archives 終らない庭のアーカイヴ」に結実している。ぜひ本書とともに、テクノロジーが庭園の奥深さにどれだけ迫ったのかを確かめてみてほしい。
情報工場エディター。11万人超のビジネスパーソンに良質な「ひらめき」を提供する書籍ダイジェストサービス「SERENDIP」編集部のエディター。