心身が健康で満たされた状態を指す「ウェルビーイング」。体の健康もさることながら、心が良い状態であることはウェルビーイングの必須条件だ。
心の健康や豊かさ、すなわち心のウェルビーイングは、経済的な豊かさを追求するだけでは実現できない。本書『こころのウェルビーイングのためにいますぐ、できること』は、お金に換算できない価値の重要性を説き、非貨幣経済の仕組みづくりの具体例を紹介する。
著者の西山直隆氏は、デロイトトーマツグループで多くの企業の成長戦略や実行支援に携わってきた。数値化できない価値をやりとりする仕組みの必要性を感じ、一般社団法人givを設立。グローバル高度人材採用のプラットフォームを展開するTech Japan(東京・台東)の代表取締役でもある。
「恩送り」のプラットフォーム
心のウェルビーイングは、どうすれば実現できるのか。モノやサービスに対して画一的に与えられた尺度である値段は「客観的価値」だ。一方で、手間暇をかけた自作の食器のようなものには「主観的価値」がある。経済合理性には沿わないが、心に届く価値といえる。著者は、客観的価値の流通を増やすことで経済が活発化するように、主観的価値の流通を増やすことが心の豊かさにつながると考える。
主観的価値の流通を増やす仕組みとして2019年にスタートしたのがgivだ。誰かから受けた恩を、別の人に贈るという「恩送り」ができるプラットフォームである。客観的価値を離れ、主観的価値を贈りあう場だ。例えば、鍼灸(しんきゅう)師が英会話講師にマッサージを贈る。英会話講師は別の農家に英会話のレッスンを贈る。その農家は別の誰かに野菜を贈る――といったやりとりができる。サービスやモノを受け取った人は、贈った人にあててサンクスカードを記し、写真と共に専用アプリに投稿する。
自分が得意とすることを人に贈り、感謝されることで、心の豊かさが増す。お金以外の価値のやりとりによって心が満たされた経験は、多くの人が持っているだろう。givはこうしたやりとりを仕組み化して増やそうとする試みといえる。
地方自治体との連携も
活動を開始した当初はカルト宗教か何かのように思われて、なかなか理解者が増えなかったという。しかし、21年には、大阪府堺市、広島県東広島市と連携した実証プログラムがスタートした。givのやりとりによって住民の生きがいや交流の活発化を目指す。22年時点で全国から約300人がgivに参加している。
貨幣経済が浸透しきった現代に、givの仕組みがどれだけ人々に受け入れられるかは未知数だ。定量的な尺度がないゆえに、どれだけ贈り、どれだけ贈られるのが適切かを計りにくいといった難しさもある。
しかし、お金を介したやりとりばかりの日常の中で、直接モノやサービスを贈り、贈られ、感謝したりされたりするという経験によって心が健康になるのは理解できる。ウェルビーイングを考えるうえで、本書は貴重な視点を与えてくれる。
2020年から情報工場エディター。08年以降、編集プロダクションにて書籍・雑誌・ウェブ媒体の文字コンテンツの企画・取材・執筆・編集に携わる。島根県浜田市出身。