BizGateインタビュー/SDGs

夢は世界制覇 AIチャットボットで社会繋ぐ女性起業家 J-Startup選定企業、ビースポーク社長 綱川明美氏

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「サラリーマンになりたいなぁ」と思っていた

――政府の「女性版骨太の方針」には、政府機関と民間が集中支援を行うプログラム(J-Startup)において、23年5月時点でわずか8.8%の女性起業家の割合を20%以上にする目標が掲げられています。ビースポークは21年時点でJ-Startupに選定され、現在の売り上げの8割は行政関連とか。安定的な収益基盤も強みだと思いますが、幼い頃から起業家を目指していたのですか。

綱川:いいえ、まったく(笑)。両親は会社を経営していて家電製品の輸出のほか、海外でレストランやイベントホールの運営などをしていました。両親が(仕事の関係で)家にいないことが多かったので、家族で週末や休暇を過ごせる家庭がうらやましくて、「サラリーマンになりたいなぁ」と思っていました。

「無理」って言われても、まず試してから考えよう

――起業にあたってはSNS(交流サイト)で約700人の方に「エンジニア、マーケター、デザイナーを紹介して」と呼びかけたり、その後、インバウンドのニーズを把握しようと都内の渋谷駅や六本木駅に出向き、自社サイトのURLを書いた紙を自らスーツケースを持ったインバウンドに配ったりしたそうですね。挑戦を恐れない姿勢はどこで培われましたか。

綱川:「本気を出せば何事もできる」と思える体験でしょうか。10歳の頃に頭を12針も縫う大ケガをしたんです。その直後、たまたま良い塾を紹介していただいたら急に勉強に目覚めまして、やればやるほど成績が上がって……。ハマる性格らしく、中学時代はアイドルの「追っかけ」にハマって成績が下降。けれど、高校受験もあるし、自分でも塾でのクラス落ちなどが恥ずかしくなって最後の5カ月くらいは必死に勉強しました。そうしたら「絶対に無理」といわれていた志望校に合格できました。

大学受験のときも「UCLAに入るのは難しい」って何人もの大人から言われました。けれど、そう言った人は皆、UCLAを受験していないんです。結果的には普通に入れましたし、「3年で卒業なんて無理」って言われたけれど、やったらできた。

そんなもろもろから、「何事も『無理』って言われても、まず試してから考えよう」という感覚を持つようになった。それが役立った面もあるかもしれません。

クラウドソーシング利用 海外企業の日本参入支援で独立

――起業の前に、フリーランスも経験されたそうですね。

綱川:はい。東日本大震災が起きて、アベノミクスがスタートする前の不景気な時期で、マーケットは悪いニュースばかりだった頃でした。最初の就職先である豪系の投資銀行で働いていました。当時、たまたま知り合ったアメリカ人の弁護士の方に「クラウドソーシングって知ってる?」と聞かれたのが忘れられなくて……。

最初は、「この人、副業までして大変ね」くらいしか思わなかった。ところが、自分もできるか試してみたら簡単に案件が取れて。やった仕事は日本に進出したい海外企業のお手伝いです。勤め先の投資銀行で機関投資家向けに日本株の売買を担当していたので、マーケットのトレンドなどはある程度分かっていました。

独立を決意したのは、もう1つ理由があります。東日本大震災を経て、「もっと長くできる、自分が楽しめる仕事がしたい」と思うようになっていたことです。

勤務していた投資銀行は、本来は新卒を採らない会社でした。私は外国人と働きたかったから、ヘッドハンティングやリクルーティング会社の方にたくさんテレアポして、「助けてください。新卒採用がないのは知っているけれど損はさせないのでお願いします」と働きかけた末に雇ってもらえた。けれど、そもそも若手不在の職場とあって、一番年齢が近い先輩でも自分より12〜13歳上。頑張っても頑張っても追いつけないんです。自分が前進しているか感じられないもどかしさもあり、海外企業の日本市場参入支援で独立しました。

ほしいもの 誰も作ってくれないなら「自分で作ろう」

――フリーから起業へ向かったのは、組織を動かしたいなどの理由からですか。

綱川:そうではないです。自分がほしいものを誰もつくってくれない。ならば「自分で作ろう」というのが大きかった。

きっかけは海外への一人旅です。もともと旅行好きですが、フリーをやってみたら「自分が休むと物事が進まない」となることに気づきました。それがイヤで再び会社員生活に戻り、夏休みに一人旅をしたときのことです。路地裏のギャラリーとか、「ガイドブックに載っていない、地元の人なら知っている情報が分かったらいいのに」と思った。それで起業を決意しました。

「あったらいいのに」と思うものを作り出していこうとの気持ちは、いまも変わりません。私の子どもの父親である元パートナーはオーストリア人で、彼は日本語ができない。21年に子どもの出生届を出す際も不備があったらしく、産院を退院した日にタクシーに乗って私が出しに行きました。このときは体調が悪いなか、他にもいろんな手続きがあって何時間も待たされて本当につらかった。「これは絶対、変えてやる!」という思いで、いま、行政サービスのデジタル化に力を入れています。

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