なぜリーダーは「失敗」を認められないのか

大いなる成功が招いたIBMの「敗北」 リチャード・S・テドロー

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1964年4月7日、20世紀の産業史に残る新製品が発表された。米IBMのメイン・フレーム「システム360」だ。会長権CEO(最高経営責任者)のトーマス・J・ワトソン・ジュニアは「史上最も成功した資本主義者」と評された。だが十数年後、IBMはパソコン市場で決定的な敗北を喫す。自らの歴史が示す教訓を否認したのだ。

上手なスライドこそ幹部への道

限りなき前進を目指す使命感は、厳然たる会社の原動力だった。「IBMは問題を克服することによって成長してきた」とビンセント・リアソンは語る。まさにそのとおり。食肉用スライサーと業務用秤の製造会社から出発した同社は、電気機械装置と企業の必需品になったパンチカードのメーカーに変化を遂げた。その後さらに電子デバイスの会社に変貌を遂げ、それがシステム360に結実した。次は何だろう?

システム360プロジェクトはその後のIBMに悪影響を及ぼす、想定外の副産物を数多く生み出した。まず、この大成功に終わった偉大な賭けは、IBMから大胆さを奪ってしまったようだった。システム360によってワトソンだけでなく、会社自体も疲弊してしまった。一つ問題だったのは、かつてのワトソン親子のように会社を奮い立たせ、引っ張っていくような人物がいなかったことだ。

IBMは企業文化や歴史から考えて、自らが"男の中の男"をリーダーに頂く必要性があることを否認した。ワトソンと1990年代に企業改革を断行したルイス・V・ガースナーの間のCEOの名を、1人でも挙げることができるだろうか? おそらく無理だろう。この間のCEOはみな、官僚主義という名の病がますます深刻化した会社に君臨する、没個性の官僚のようだ。

病の兆候はいたるところに表れていた。儀式的な行動が本質的な行動に置き換わっていた。企業文化の緩やかな劣化を描写するのは容易な作業ではないが、ジャーナリストのポール・キャロルはこう書いている。

 もはやライバルが消え失せたような状況の中、IBM社員にとって唯一の成功の指標は、組織内でどれだけ出世できるかになった。まるで公務員のように、互いの価値を給与水準で測るようになった。「俺は5万7000ドルだが、あいつは最近6万1000ドルになった」という具合に。ライバルに先んじるために、格別優れた企画を出す必要はないという意識も広がった。それでは時間がかかりすぎる。他人より優れたプレゼンさえできれば、出世はできる。

 有望株については「アイツはスライドを作るのがうまい」という形容がされるようになった。当時IBMの社内会議でよく使われるようになった、オーバーヘッド・プロジェクター(OHP)用のスライドである。だれもが日常的な会議のためのスライドづくりに何日も、もしくは何週間も費やすようになった。実際に使う予定があるスライドだけでなく、万一だれかに質問を受けた場合に備えて予備のスライドも大量に用意していた。プレゼン能力が過度に重視されるようになったため、もはや質問を受けて答えに窮したり、「のちほどご回答します」などと答えたりするようなことは許されなかった。

 IBMでスライドが使われるようになったきっかけは単純で、トム・ワトソン・シニアが思いついたアイデアを書きとめるために肉の包装紙を1巻、デスクに備えておいたことに由来する。だが今やそれは企業文化の一部となり、上級幹部は紫檀材でできた高級デスクにプロジェクターを備えるようになった。

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