1961年、43歳で第35代米国大統領になったジョン・F・ケネディの就任の時、日本の新聞記者が「日本で最も尊敬する政治家はだれですか」と質問しました。これに対し、ケネディは「上杉鷹山(うえすぎようざん)です」と答えました。前大統領アイゼンハワー時代から始まった不況を打開するために、150年前の江戸時代、すでに倒産状態にあった極貧の米沢藩を立て直した鷹山を学んでいたのです。
2013年11月、駐日米国大使に就任した長女キャロライン・ケネディは、「父ジョン・F・ケネディ元大統領が、江戸時代の米沢藩の名君とされる上杉鷹山を尊敬し、就任演説に代表される考え方に影響を与えた」と述べました。
日本一貧乏な米沢藩を立て直した上杉鷹山
2014年5月、山形県の白鷹山(994メートル)の山頂に2基の石碑が建立されました。1基は鷹山が藩主としての心得を示した「伝国の辞」です。もう1基には英語で「国家があなたに何をしてくれるかではなく、あなたが国家に何ができるかを問おうではないか 大統領ジョンF・ケネディ 上杉鷹山の称賛者」と刻まれています。
この言葉は、故ケネディが大統領就任時に述べた演説の一節で、キャロライン・ケネディ大使は「この碑は今後何世代にもわたり日本と米国の人々に影響を与え続けることでしょう」と述べています。
上杉鷹山の米沢藩は、江戸時代中期から後期にかけて、貧しさや凶作・飢饉のために、13万人強あった人口が10万人弱にまで減少していきました。絶望した領民が次々に藩を逃げ出す状況のなかで、日本一の貧乏藩(現代なら倒産したも同然の企業)を、養子の若い藩主・上杉鷹山(治憲=はるのり)が想像を絶する苦労をして、日本一豊かな藩に導いていきます。鷹山は、「ただこの上の願いは、一度国家を再興し、人民を安んずることこそ、この身生涯の願い、これに過ぐる事あるべからず」と述べ、自身は質素な生活に徹して献身的に努力しました。常に自己研鑚を重ね、言動は全て真心から出てくるような人物であるため、領民の信頼を得ていきました。
鷹山の生き方には、将来に暗雲が立ち込めた現在の日本に役立つ教訓が数多くあります。鷹山の藩政改革も前半は失敗の連続でした。途中であきらめていたとしたら本当の失敗です。成功した場合も、計画の何倍もの時間がかかっており、失敗から学べる事例は枚挙にいとまがありません。
改革は莫大な借金を背負っての出発で、良くなりかけると大飢饉が襲ってきて、それまでの努力が水泡に帰しました。しかし、鷹山はうまくいかなかった原因を探り、どんな困難にも決してあきらめず障壁を少しずつ打ち砕いていきます。
長い間に蓄積した負の要因は短期間で改善できるものではありません。現場主義で得られた情報をもとに計画は短期と長期に分け、成果の出やすいものに的を絞って実行し、時間をかけて着実に成果に結びつけていきました。
「発明王」といわれたトーマス・エジソンは、世間の人たちから「人間離れした天才」と呼ばれたとき、「私は人間離れなどしていない。あきらめないことの天才なのだ」「人生における失敗者の多くは、あきらめたときにどれだけ成功に近づいていたかに気づかなかった人たちだ」と言っています。
鷹山の改革の足跡をみると、改革の天才であると思えてきます。天才といえる人物はどのように育てられ、成長していくのかがよくわかります。