徳川軍団に学ぶ組織論

知略で井伊家を救った「おんな城主」直虎 小和田哲男、造事務所

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NHKの大河ドラマで注目の井伊家。今川家の支配下にあって桶狭間の戦いや暗殺によって当主が不在となり、家を継いだ"おんな城主"直虎に育てられたのが、直政である。やがて徳川軍団に加わった直政は、「赤備え」の精鋭を率いて活躍し、敵から「赤鬼」と恐れられた。徳川四天王でもっとも若い直政は、最終的に石高は徳川軍団トップ、筆頭家老となった。没落していた井伊家をみごとに再興したが、自身は42歳の若さで命を落とす。火花のごとく激しくも短い直政の生涯からビジネスのヒントを探る。

最後のひとりとなった井伊家の嫡男

井伊の名前で歴史に名を残した有名人物といえば、幕末に大老を務め、桜田門外の変で暗殺された井伊直弼(なおすけ)だ。直弼の肩書は、譜代大名筆頭・彦根藩井伊家13代当主。もちろん直政の子孫である。

そんな井伊家のはじまりは平安時代までさかのぼる。『井伊家系図』によると、藤原道長などが輩出した名門・藤原北家の出とされている。もとは名家の一族なのだ。

鎌倉時代に遠江一帯に勢力を広げた井伊家は、周囲を山に囲まれた井伊谷(いいのや)の国衆として、貴族の血を引くという誇りを胸に平和な日々を過ごしていた。

しかし、戦国の世になると駿河(静岡県東部)の今川氏親に攻めこまれ、その影響下に置かれるようになる。今川家が井伊家を戦において先鋒として使うようになると男子が次々と戦死し、桶狭間の戦いでは当主の直盛が戦死した。その後、今川家が衰えていくなかで当主となった直親(直政の父)は、家康に通じたと疑われて謀殺された。このとき、虎松こと直政はまだ2歳である。その翌年には、老体をおしてふたたび当主となった直平が急死する悲劇に見舞われた。

こうしてわずか3年の間に当主を立て続けに失い、井伊家の男子は2歳の虎松だけとなってしまうのだ。虎松を生んだ母は、夫・直親の死後すでに徳川家臣と再婚していた。そこで虎松の後見人となったのが直虎である。直虎は直親のもと許嫁であった。

男子がいなくなった井伊家を継いだ"おんな城主"直虎は、井伊家の男子で生き残った虎松を育て上げた。徳川方につこうとした井伊家は、その後も幾度となく今川家に圧力をかけられ、各地を転々としている。

逃亡生活を送りながら、虎松は8歳まで直虎に保護・養育され、その後は寺に避難。井伊家を再興するため、一族によって必死で守られていたのである。

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