徳川軍団に学ぶ組織論

倒産企業の優秀社員採用した「井伊の赤備え」部隊 小和田哲男、造事務所

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NHKの大河ドラマで注目の井伊家。今川家の支配下にあって桶狭間の戦いや暗殺によって当主が不在となり、家を継いだ"おんな城主"直虎に育てられたのが、直政である。やがて徳川軍団に加わった直政は、「赤備え」の精鋭を率いて活躍し、敵から「赤鬼」と恐れられた。徳川四天王でもっとも若い直政は、最終的に石高は徳川軍団トップ、筆頭家老となった。没落していた井伊家をみごとに再興したが、自身は42歳の若さで命を落とす。火花のごとく激しくも短い直政の生涯からビジネスのヒントを探る。

家康の小姓から突撃隊長へ

桶狭間の戦いで今川義元が討たれた翌年、井伊直政は井伊谷(いいのや)(静岡県浜松市)に誕生した。出自に関してはのちに紹介するが、直政が2歳のとき、井伊家の家督を継ぐ男子は直政のみとなり、存続の危機にあった。苦難を乗り越えて徳川家康に仕えはじめたのは15歳のとき。当時虎松と名乗っていた直政は家康の小姓となり、家康の幼名「竹千代」から千代の字をもらい、万千代と名を改めている。

このころ徳川家は、織田家との連合軍で長篠・設楽原(したらがはら)において武田勝頼を撃破している。家康は、新たに領土となった遠江の旧今川家臣団を吸収し、人材発掘に力を入れていた。そこで直政が目に止まったというわけだ。

家康は聡明な直政を気に入ったようで、早くから軍事や外交、内政に携わらせた。家臣の誰もがほしがった栗毛の名馬を直政に与えるなど、かなりかわいがっている。家康の長男である信康の2歳下であったことを考えれば、直政はできのよい子どものように映っていたのかもしれない。

家康の小姓となった次の年、直政は初陣を飾る。没落した今川の旧領をめぐって武田勝頼と争った遠江芝原(しばはら)の戦いにおける直政の活躍は、『井伊家伝記』に以下のように記されている。

夜、陣営において家康が寝ていたところ、武田の間者が数人忍びこんできた。これに気づいた万千代(直政)は間者に斬りかかり、みごと撃退に成功する――戦場での活躍もあっただろうが、直政の最大の功績は、暗殺を防いだことにあった。

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