富士通は、パナソニックとシステムLSI事業の新会社を設立し、福島県の工場会社へは米国の半導体企業のオン・セミコンダクターが一部出資をすることとなった。(2014年7月31日発表)
最近、日本企業の半導体製造事業を巡って上記のような報道があった。残念ながら現在の日本において、世界の半導体市場で技術・事業上の競争優位を持ち、工場を保有し、半導体事業として運営されているのは、東芝のNANDフラッシュメモリー、ルネサス エレクトロニクスのマイコン、半導体各社で取り扱っているパワー半導体という程度だ。
日本の半導体事業は、なぜここまで追い詰められてしまったのだろうか。このテーマに関しては、既に様々な角度から議論が尽くされている。そうした議論を踏まえて、今回は日本の半導体業界が追い詰められた背景を、歴史的・文化的な視点も交えて考えてみたい。
日本の半導体メーカーの負けパターン
半導体産業で競争優位を確立するのに重要なカテゴリーは大きく分けて3つある。第1にデザイン(設計)、次いで微細化、最後に資金である。現在の半導体産業において、これら3つがそろえば半導体企業として盤石。3つすべてをそろえられない企業は、いずれかのカテゴリー、もしくはその組み合わせにより競争優位を確立しようとする。最後は、世界的なヒット商品(アプリケーション)に組み込まれるデバイスとして販売できるかどうかにより、半導体企業としての生存確率が大きく左右される。
これまでの日本企業の負けパターンは、次の3つである。(1)デザインと微細化が自社の最終製品(アプリケーション)に制約される「キャプティブの罠」に陥り、半導体として汎用的な製品の需要を満たすプラットフォームになれなかったこと。(2)競合企業との資金調達力格差を軽視し、長期にわたり設備投資に必要な資金調達計画が不明確な中、微細化競争に参加してきたこと。そして(3)半導体デザインハウスという発想より、工場を持つ半導体メーカーを志向してきたことである。