戦力ビジョンの不在がリーダーシップの欠如招く
「自壊の病理」は日本陸軍に関して作戦計画だけでなく政治・外交への介入など多角的に分析した。
東条がリーダーシップを発揮できなかったもう一つの要因として「戦略ビジョンの不在」を戸部教授は挙げる。戦争指導には(1)戦争目的の確立(2)進軍限界の調整(3)戦争終結の構想――が急所のエッセンスになるという。東条自身も十分に承知していたが自ら想像し一国の方針とすることはできなかった。(1)では欧米列強からの「アジア解放」を掲げ東条自身も強い関心を示したが、繰り返し「民主主義の擁護」を唱えるチャーチルやルーズベルトには全く及ばなかった。戸部教授は「『自存自衛』だけでは戦わざるを得ない理由は分かるものの、世界戦争を戦う上では理念的性格が弱かった」としている。進軍限界の調整も、海軍の防衛範囲を越えての積極決戦策を抑えきれなかった。
終戦構想としては「一撃和平」論がある。しかし戸部教授は「一撃を与えれば相手が妥協するという発想自体に問題があった」と指摘する。第2次世界大戦の主要国の中では、国力の全てを傾ける苛烈な総力戦だった第1次世界大戦の実態を、日本だけが経験していない。このため戦争理念の配慮不足や終戦構想への甘い期待などが目立つ。戦略ビジョンをつくり出せなかったのは東条ひとりではなく、日本の指導層全体が経験不足だったといえる。明確なビジョンがなければリーダーシップの発揮も難しい。「東条がいかに有能であっても弱気をいさめる精神論を語り、部下の意見具申を待つ以外に方策がなかった」(戸部教授)。側近だった佐藤賢了・元陸軍軍務局長は戦後「東条さんは決して独裁者でなく、その素質も備えていない。ほんとうの独裁者でも、自己の責任におびえることは確かにあり、そこで神仏に頼ろうとする例は少なくない。東條さんはその頼りを天皇陛下に求めた」と語っている。
戸部教授は日本陸軍の研究を継承して、1980年代の国際政治を分析した共著「国家経営の本質」(日本経済新聞出版社、税抜き2000円)もまとめている。現代のリーダーシップに必要な要素として(1)理想的プラグマティズム(2)歴史的構想力の2つを挙げる。理想を現実の中に求めていくのではなく、まず現実を分析し理想の実現可能性を考える。さらに過去の歴史から未来を構想し、未来に向かう「物語」を創造して国民に語っていくことが重要だと強調している。日本陸軍や太平洋戦争に関する研究は、過去への反省だけではなく具体的な未来の構想につなげていくものとして今後も進展していくだろう。
(松本治人)
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